2012年04月24日
希望の桜!
見事なまでの桜並木!
なのにお花見をされる人の姿は見受けられません。
気付けば下の写真のような、防護服を纏った関係者のみが
この桜の下で作業をされています。
ここは震災当初の医療支援でもお世話になった街の一つです。
原発事故以来、地元の人も避難したまま戻れない
全域が警戒区域の無人の町。。。
町の桜開花の基準木にもなってるというソメイヨシノの古木。
誰にも見られることがなくとも、春の訪れを例年のごとく察知して
見事なまでのこの美しさを見せてくれました。
誰に見てもらうわけでもなく、それでも確りと自己主張するかの如く
こうして満開で春の訪れを告げてくれているようです。
どんな環境下でもこうして見せてくれた桜の切ないまでの美しさ!
写真でしかありませんが、どうかみなさんも見て愛でて楽しんで
そしていつの日かこの桜の如く、
故郷に戻った人々の歓声に包まれる事を思い浮かべて見てください。
それは希望に繋がるはず。
この街は原発事故当初の風向きなどから
比較的放射線量での規制は早めに解除されるのではないかと
そういった期待が持たれる場所でも有るのですが
未だ明日の事さえ知り得ない不透明な現実に置かれています。
この地に似た環境下でも、あの地震の揺れにより
大きく斜面を地滑りし数十メートルも滑落した桜の木からも
この春、誰に見られることもなく
満開の美しい花を咲かせてくれたところもあります。
どんな地でも自然の営みはこの国にある「四季」といった宝物に
文字通り花を添えてくれています。
花を愛で季節の移り変わりに心躍らせ、復興への希望を持つ気持ちは
例え意見の相違や感情の行き違いがあっても
必ずや乗り越えられるものだと信じます。
何故ならこの国に何百年・年千年と繰り返してきた季節の移ろいを
私たちは心の底から楽しみそして「和」を大切にする
そう言った国民性を備え持ってているのですから。。。
誰に見られることなくも、健気にも今年の春を告げてくれた富岡の桜。
どうか皆さん心の片隅にでもこの美しさを残してみてください。
そして、いつの日か本当に皆さんと、
私へコメントくださった全てのみなさんと
そして地元の被災者のみんなと一緒に
この桜の下でお花見をしたいと願います。
意見の行き違いも全て誰かを想う気持ちからの
ほんの僅かなボタンの掛け違いのはず。
その小さな掛け違いはこの桜の美しさ・健気さからしたら
微かな事でしかないでしょう。
この桜から大切なそして大きな力を頂いています。
この場所は上記のとおり警戒区域内ですので
この写真は転載したものです。
私の写真ではありませんが、この桜をみなさんに見ていただきたく
そして警戒区域とはいえ、この桜のように日々を滞ることなく
前へ前へ進もうとする希望や力を被災者は強く持って過ごしています。
私もその一躍を担えるよう微力を投じて行きたいと思います。
2012年04月22日
前を向いて。。。
そして何人の方々をお見送りした事でしょう。。。
被災地を中心に活動する時間が長かった分
震災によると思われる体調悪化から
重篤な状態への患者さんも多かったです。
折角あの恐怖の揺れから身を守り、
続いて襲ってくる経験したことのない程の津波。
その悲惨な時間を何とか掻い潜り、見ず知らずの他人とも助け合って
やっと本当にやっとと言う思いでつなぎとめた命だったのに。。。
反面、震災後にご懐妊され避難所とはいかずとも
自分のふるさと近くでの出産を望まれる妊婦さんも多く
毎日の放射線量を気にされながらも
診療所までの道のりを健診に通ってこられた新米ママたち。
そんな明るい話題も有りました。
ただ元気な赤ちゃんを授かったお母さん方の中にも
あの恐怖のフラッシュバックや地域間の認識不足からの風評などから
育児の不安も増して産後欝を発症する割合が
被災しなかった地域に比べて高く
それぞれの方々の心のなかには今だ複雑な思いがいっぱいです。
みなさん本当にやっと助かった命なのに
余震の恐怖や未知の放射線の恐怖、そして避難を余儀なくされ
生まれ育った故郷との別れ。。。
新天地での心無い人々の言葉による差別や
勝手な思い込みから浴びせられる阻害感に直面しての精神的重圧。
そういう中での持病の急速な悪化も悲しい現実でした。
極悪施設のように言われる原発施設へも事態の悪化を防ぐため
震災当初より毎日避難所や仮設住宅から通う地元の人々。。
日本中から批難される施設であり、危険な地域である原発へ
毎日毎日大切な息子を、夫を、父親を送り出し見守るしかないご家族。
送り出したあとに祈り続けるおばあちゃんや小さな子供たち。
まだ避難所にいたひとりの女の子は、原発へ通うお父さんについて
「お父さんは悪いことしているの?
TVで皆がお父さんの会社が悪いって言ってる」
そういって泣き付いてきた時には
彼女を抱きしめた私まで一緒に涙していました。
この子の心の傷は生涯消し去ることはできない気もします。
命は本当に尊いものですね。
あれ程の災厄を受けた街でも、
徐々に徐々にこれからを見つめていらっしゃいます。
余震や放射能の恐怖は未だに消えることはありませんが
風評や差別は被災しなかった地域の方々の心持ち一つで
すぐにでも消し去る事ができるように思います。
先日春の園遊会へ行ってきました。
宮内庁から届いた招待状を受け取ったとき
正直私が出席して良いものかとかなり悩みました。
大学の上の人にも相談したり、
同じ分野で招待された先輩方の後押しもあり
赤坂御苑へ向かいましたが、そこでもやはり違和感を拭えません。
私は晴着を着てこうした晴れやかな場所へ出て
皇族方に拝謁しているその瞬間にも、
ハイチや東北の被災地では皆さんいつものように
復興への時間を過ごされていらっしゃるというのに。。。
そんな時、昭和天皇の時代の園遊会にも父の配偶者として同行し
今回私の同行者として二度目の参列となった母から一喝されました。
「被災した人は皆胸を張って前を向いてるはずでしょう。
貴女はこれで支援が終わったとでも思っているの?
まだまだこれから何度でもどんな悲惨な被災地へも行きなさい。
そしてみんなが笑顔になる様に働きなさい、
パパもそう願っているはずだから!
だから貴女も胸を張って今を生きなさい」
私には大きなアドバスでした。
あの父にしてこの母ありです。。
みんな前を向いて生きているんですものね!
意見の違いは理解できることも出来ないことも有るかも知れません。
確かに生きていく上で唖然呆然とする行為に出会うこともあるでしょう
そしてお互いに笑顔になれる程の共感を得ることもあるでしょう。
それが生きている証でもあるように思います。
風評で人を傷つけたり、自分の善意をひけらかすことは
やはり控えるべきだと思います。
ニュースの本質を自分の言葉に置き換えられずに受け売りするのも
時として人を苦しめることになりかねません。
それでも差し出す手は引いてはいけないようにも思います。
そして皆さんから私にいただいたコメントやメールそしてFBでも、
一つ一つが全て私への励ましや思いやりだと信じ受け止めています。
本当にありがたく読ませていただきました。
意見の相違は何かを生み出す大きな切欠になるはず
だから非難ではなく,
なぜそういう考えを出すのかを問う事が
前を向いて行くために必要な気もします。
皆様から頂いた本当に優しい心のこもったメッセージに
励まされ助けられ、そして前を向く力をいただいています。
本当にありがとうございました。
失礼ながらこの記事を皆様から頂いたメッセージへの
返信とさせていただければと願います。
園遊会が催された赤坂御苑
招待客へのお土産は菊のご紋入り“どらやき”
父の時にはやはりご紋入りの日本酒だったそうです。
皇室から配られる物はやはり失せ物なのでしょうね。
2012年04月07日
笑顔の裏側に。。。
仮設を回ったり、僻地医療の支援をしたりしていると
自然と被災住民の方々とも顔なじみになり
何度目かの訪問の頃からか、
皆さんから声をかけていただけるようになりました。
なかには「看護師さん」ではなく、私の名前で呼んで頂ける方も
いらっしゃって直接の病気の質問だけではなく、
少しづつですが今後の不安や家族の将来などについて
心の奥底に溜まっていた他人に話せない程のお気持ちを
吐露していただけるようになりました。
それは精神衛生上本当に良いことなのですが
そのお話のなかには聞いているだけでも涙がでてしまうほどの
お辛い気持ちも伝わってきて、私まで砕けそうになる事もシバシバ。。。
まだまだ未熟なのは分かっていますが、
一緒に涙することもここでは必要だったようにも思います。
そして感じたいくつかのことは、
誰よりも辛い境遇であるはずの震災孤児になってしまった
中高生の子供たちの多くがいつも笑顔でいてくれること!
これには支援に行った私の方が何度となく励まされてしまいました。
その笑顔の秘密をそれとなく尋ねると
多くのお子さんたちが同じようにこう答えてくれました。
「いつまで泣いても始まらないし、
死んだお父さんやお母さんが見守ってくれるから
私が泣いてたら天国でも心配でゆっくり出来ないでしょう?」
そう言って唇を噛み締めながら笑顔になってくれました。
そんな強さを持った笑顔を見せてくれた一人の男の子。
両親が津波に流され兄妹だけが残った中学3年生だったお兄ちゃんは
高校進学を一旦諦め、先ずは今春中学校に進学する妹さんと一緒に
新聞配送所へ住み込みでの就職を決めました。
そこのご主人夫妻が診療所へ来ていた事もあって
双方とも私と顔見知りだったので
お兄ちゃんの中学卒業、そして妹さんの小学校卒業のお祝いと
新聞配送所への就職のお祝いを兼ねて
新聞屋さんの二階で行われた祝賀会に誘ってくださいました。
そこで所長であるご主人が
「いわれもない風評被害もあって、
こうした子供たちが悲しい思いをしているのだから
我々大人が出来るだけの支援をして守ってあげないといけない。
この子達は一旦他県に住む遠縁の親類のところで暮らしたけど
そこの学校ではまるで寄付を受けた可哀想な子供たち
という差別を受けたんだよ。
親御さんが震災義援金を出したことや、震災孤児への基金へ
お金を送ったと子供の前でも自慢気に言うんだろう。
だからその子供達は自分の親のおかげで
震災孤児が助けられてると思い込む。
それが自然と学校でも言葉に出たんだろうけど、
言われたこの子達は辛いだけだ。
本来寄付は気持ちの問題だろう!
自分がした寄付を「いくら寄付した」とか人に話す問題なのか?
寄付をしてくれる気持ちは本当に嬉しいけど、
立場が変わればこっちだってしている。
誠意を人にアピールするのは善意ではない気がしてならない。
それに原発事故以降、福島からの避難者というだけで
「放射能がうつるから」なんて言われて
右も左も分からない初めての土地で奇異な目で見られたことも有る。
今ではある程度認識もあるからこういうことは減ったろうけど
事故直後にこうした風評を意識しない騒ぎがあったことも事実。
せっかく助かった命なのに、こうした言われなき辛さを与えたのも、
心無い大人たちの勝手な思い込みからの言動なんだから
大人の責任として皆でこうして親を失った子供たちを
見守って行くのがせめてもの訃ぐないだからな」
そう私に呟かれました。
そう言われた所長さん自身も、ご自宅を津波で流され
お父様は未だに行方不明のままと言う
震災被災者のお一人なのですが。。。
春の便りがあちこちから届きだし、
お花見など心も浮かれる季節が訪れましたが
心無い軽率な発言や行動にだけは気を付けたいと
改めさせられる思いでした。
彼らの笑顔の裏側には、辛さをかみしめた
今は亡き大切な人への思いがいっぱいに詰まっていることを
忘れないであげてくださいね。
2011年12月07日
憎みあっても何も生まれないから。。。
So this is Xmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun
And so this is Xmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Xmas
For weak and for strong
The rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas (War is Over)
And what have we done (if you want it )
Another year over (war is over )
And a new one just begun ( now )
And so this is Christmas (War is Over)
And we hope you have fun (if you want it )
The near and the dear ones (war is over )
The old and the young ( now )
A very merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over, if you want it
War is over now
もうすぐクリスマスだね!
あなたにはどんな一年だった?
もうすぐこの一年も終わり
また新しい年が始まるよ
そうだからクリスマス
素敵な一日をね!
愛するあの人に
そしてすべての人に
心を込めてメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね
恐れも何もない。。
そうだからクリスマス
落ち込んでいる人 気丈な人
お金持ち 貧しい人
世の中は変だよね!
でもハッピークリスマス
黒くても白くても
黄色でも赤くても・・・
もう争いはやめよう
みんなへメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね!
不安も何もなく
さあもうすぐクリスマスだよ (戦争は)
あなたとってどんな一年だった? (終わるさ)
強烈なこの一年も間も無く終わり (君が)
またもっと素敵な新しい年が始まるさ (望めば)
そうだからクリスマス (対立は)
素敵な一日をね! (終わるさ)
愛するあの人に (みんなが)
そしてすべての人に (望めば)
心からメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね!
余震や放射能汚染の恐れも病気の恐怖も何もなく。。。
争いは 終わるさ
みんなが望めば
今すぐ 終わるさ 必ず。。。
壊滅的な国難を受けたこの年も残すところ半月あまりですね。
色々な方々が辛い思いや悲しい別れ、
見えぬ危機との不安な日々を過ごし
まだ先の展望も見いだせないでいる辛い日常は今も同じ。。
考え方の行き違いなどから起こる不快感や嫌悪感。
辛い言葉を浴びせられたり、浴びせている事に気付かなかったり。。。
でもそれも含めて今を生きているんですよね!?
もう憎しみ合うのはやめましょう。
そう願い合えればこの感情の行き違いも終わるはず。
そう信じて前をむいていきたいと思います。
折角あの震災を生き残った命なのですから。。。
War is over, if you want it
War is over now
2011年11月11日
愛の兆し
そんな日に市民運動が行政を動かし出した
そんな暖かい記事に触れました。
静岡では東京都についで
県単位での「ガレキ」の受入を表明したとか・・
それも行政から名乗り出たのではなく、
市民運動の中から受入を自分たちの手で
市町村へ要望して実現された稀な例のようです。
静岡には浜岡原発が有るために
市民感情もガレキ受け入れには敏感で
当初は放射能汚染物を県内に持ち込むなど許されない
そんな雰囲気だったそうで行政も積極的には動かなかったようです。
そんな中から市民の手で、
「反原発を訴えるだけでなく今は痛みを分かち合って復興を目指そう」
と、自然発生的に同じ原発保有地の
福島の苦悩に手を差し伸べたようです。
同じ痛みを分かち合い、
不平や不満を政府のせいと文句を言っていた時期から
前をむいて皆でどうやって反原発のために動けるか
そう考えた際に、先ずは復興の助力のために
ガレキの処理のお手伝いと受入を市民レベルで
行政に掛け合って実現されたそうでした。
もちろん厳格な安全基準を確認した上での
受入れになるのは当然でしょうが、
その基準作りにも「反原発」を謳っていた人たちが関わり
政府や原発批判のパワーを
復興への力に置き換えて実現されたそうでした。
市民の一歩一歩の小さな力からでも、こうして徐々にでも復興へ
そして国がひとつになって立ち直っていく初動を起こしたのですね!
辛くとも生きていくためには一人じゃないと
そう信じられる事が一番大切に感じます。
同じ原発立県というだけでなく、
市民の心の優しさと大人の対応に災害救援に携わったものとして、
感謝の気持ちで一杯になった8ヶ月目です。
そして少し救われた気分になった、そんな一日になりました。
2011年11月03日
恩讐の彼方へ ~生きるために・元気になるために・・・
北山修
人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ振りかえる
プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ 風が吹いているだけ
振りかえらず ただ一人 一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ 風が吹いているだけ
吹いているだけ
吹いているだけ
青葉城恋唄
星間船一
広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない
青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹かげこぼれる灯に ぬれていた君の頬
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
2011年10月31日
忘れてはいけないこと
海外メディアが報じた震災直後のニュース画像を編集された
生々しい映像が収録されています。
その中にはショッキングなものも多数含まれています。
お子様や妊産婦の方、ご病気が気になる方
そして精神的に落ち込んでいる状態の時などは
ご覧になられないようお願いします。
ご遺体への尊厳などに対し意見も分かれる事でしょうが
これが震災被害の現実なのです。。。
そして私たち救援隊がどこの災害現場でも
真っ先に目にせざるを得ない光景でもあります。
そして被災者は老若男女問わず、
このような悲惨な現実を目の当たりにされ
辛く悲しい思いを突如として胸の中へ打ち込まれてしまうのです。
この映像をUpされた方も仰っていますが
今、この中から必死に復興を目指している方々がいらっしゃる事を
どうか忘れないでいてください。
軽々に安易な励ましや自分勝手な思い込みの言葉ではなく
もう一度考えてみてください。
今ご自分自身が、そしてご家族が、友人が。。。
この瞬間を同時に過ごせている、その幸せを!
被災者の事を考えられずに、
自分の浅はかな思い込みや、うかれムードからなのか
失言を重ねる大臣がいるこの国でも
人を思いやる心は生きているはずです。
政府や原発批判を口にする事で
自分が正義を謳っていると勘違いする人もいます。
でも批判するのは安易で、そして悲しいほど無責任な行為です。
批判する以上その対案が、
そしてその為にどう行動するかを補足して欲しいと願います。
批判を口にするだけでは何も進まないことに気づいて
復興の助力として、ひとりひとりが何ができるかを、
何をするべきかを、もう一度考えて貰えたなら。。。
行動や実践ではなくとも、せめて被災者の境遇や現実を理解され
心無い言葉で傷つける事の無いよう
自分の言動や書き込みを心がけるだけでも優しさは伝わるはずです。
恐ろしいのは失言を失言と気づかずに口にすること。
寄付をしたから一言口を出す権利があると思われること。
そしてあの悲惨な現実を忘却してしまうこと。。。
時が行けば自分の生活圏での日常に彼の地のことは
いつしかテレビ画面の向こう側のものとなってしまうでしょう。。
代々暮らし伝わって来た故郷を失った被災者が
どんな気持ちでこれからも被災した土地で暮らし、
復興を目指して行くのかを、
自身の立場や住み慣れた土地へ置き換えて考えられたなら、
そのコメントを被災者がどう受け止めるかわかるはず。
決して被災者の心理状態の悪いタイミングに
発したからではないと言うことにも。。。
それだけ故郷を、現実の生活を、大事な人を
一瞬にして失った方々のトラウマが
悲しいほど大きい事に気づいて頂けるはずです。
そしてこの災いは、次の瞬間にも自分自身の身へ
降り掛かって来るやも知れない恐怖でもあるのですから・・・
自分に言い訳をすることだけはしないよう。。。
私はその言葉を胸に、被災地にエールを送れるよう、
できうる範囲での仕事をしていくだけでしかありません。
2011年06月11日
ありがとうございました。。。
一期一会を大切に、ひと時の出会いも糧となると信じ
私のフィールドと救援活動の一部を
自分なりに書き綴ってきたこのブログですが。。。
ブログを通して楽しい思い出や、
読んでくださった方々の率直な意見などに励まされ
そして患者さんや世界中でケアを必要とされた被災者の方への
フィードバックの一部として続けてきたこのライフワークも
ここへ来ていくつかの決断をしなければならない事になりました。
このブログを通して「嫌な気分になられた方」がいらっしゃること。
単純にその事だけでも続けていく事はいけないのですよね。
ブログを読んで下さった方々が、
色々な意見をコメントとして残してくださることに私は本当に励まされ、
そして活力を頂き現場で生かす事が出来ました。
それは救命での搬送患者さんのケアであったり
中越や四川・ハイチやクライストチャーチ、そして東北でも・・・。
身に危険を感じたときもコメントに励まされたり勇気付けられたり
その力は不思議なほど本当に大きなものでした。
人の命を預かる業務と言うとオコガマシイ事かも知れませんが
自分なりに生死を分かつ思いをしている方々をケアの面からサポートし
そしてQOLに沿った復帰をお手伝いしてきた心算でいました。
ですからコメントでの意見の相違、そして私個人への非難・誹謗も
応援歌として受け止めてきたこのブログでした。
ただここへ来て広域的な国難を迎えて、
その渦中にいる方と、遠方より応援して下さる方との
受止め方の僅かな行き違いに私自身が翻弄される状態です。
その後、他のコメントからも意図した事とは異なる反応も現れ始め
私の手の届かない所で色々な方々が不快な気分になられていることに
今は私自身混乱している次第です。
もう少し私に気力のあるタイミングなら、
今とは違った対応も出来るのでしょうけれど
この所の派遣・支援などの中で、力を尽くしても無力のうちに
悲しい別れや替って上げられたらと思う程の小さなお子さん達の苦難、
一瞬にして変わってしまった生活環境などの対応に
私自身の未熟さも手伝って、多くの時間を費やす事になり
今は心身ともに精一杯の日々を過ごしています。
そう言ったタイミングでこのブログでの誤解を解く努力を初め
不快感を味わった方へのお詫びや
前向きな対応を起こす気力を持てずにいる現状に
本当に皆様にはご迷惑と多大な不快感を与えてしまっているようです。
こういう書き方をすると、それ自体が他人事のようでいい加減すぎると
またお叱りを受けてしまいそうですが、
今の私には多くの言葉を選ぶ余裕すらなく
書き綴る事で逆にブログに訪れて下さる方を
無意識のうちとは言え不快にしている事でしょう。
人との出会いを大切にしていきたいと始めたブログが
人とのつながりを不快なものにしている今の状態に
これ以上続ける意味さえ見いだせないでいるのが現状です。
本当に不快にさせてしまった方々には心よりお詫びいたします。
既にURLを削除され、この文章を読まれる事の無い方もいるでしょう。
そう言った方へは、お詫びの言葉も通じることなく
ただただ申し訳なく思う事しか出来ずにいます。
やはりブログである以上、文章での表現しかなく
私のような拙い文字の羅列しかできない者にとっては
結果的に皆さんに不快感を与えるだけでしかなかった事が
悲しいかな今まで綴ってきた答えでした。
皆様から頂いたコメントの一つ一つは私への励ましでありお叱りであり
そのすべてが私を育てて下さった大切でありがたい物でした。
ですからこれからもここを削除することなく、
私の宝物として、時に読み返してみて反省に当てたいと思います。
前の記事にコメントを頂いていた方々へお返事の言葉も見つからず
この文章に代えさせて頂きます事を心よりお詫びし、
あわせてお許し願いたいと思います。
今まで本当にありがとうございました。
コメントからコメントへと意見の擦れ違いや誤解も生じましたし
私のこのブログを読むことで不快感を味あわせてしまった方々には
本当に申し訳ありませんでした。
今まで、どうすれば看護の技術向上を実践に生かし広められるか
患者さんやご家族の為にどのようなQOLに生かせるかなど考えながら
私なりにこの看護と言う業務に当ってきましたが
ブログでさえ皆様を傷つけ不快な気分にしてしまう私に
今は今後自分が医療の世界に身を置いていていいのか
私のやった事は結果的に、
「人を不快にさせてしまっただけ」でしかなかったのではないか。
そう言った疑問に自問自答する日々を送っています。
ブログを通し出会えた皆様との繋がりを私は勝手に宝物として
その出会いの素晴らしさを誇りに思っていました。
その裏側に、不快に思われる方がこれほどいたのか
などと言うことを全く気づかずに・・・
今回のコメントの中でのすれ違いや誤解なども
その方々にとっては許しがたい不快感でしかなかったのですものね。
本当にごめんなさい。
ですので少しブログを離れようと思います。
色々な事が一時に押し寄せ、かなり疲れてしまいました。
最後にもう一度だけお許し願えればと思いお詫びいたします。
すみませんでした。
既にここを見る事さえ避けている方もいらっしゃるでしょうが
いつの日か何かの間違いでも構わないので
ここを覗かれた際に、お詫びの気持ちだけでもお伝えできればと願い
離れさせて頂きたいと思います。
ある昼下がりに、どこかの公園などでお散歩しているワンコを
「ランディ」と呼びよせている者が居たら、
もしかしたらそれは私かも知れません。
そんな時は、「あのブログでひどく嫌な気分にされたんだ」と
お叱りでも構いません。
お声を掛けて下されば今まで続けてきた甲斐にもなります。
末筆ながら、皆様のご多幸とご健康を祈りながら
お詫びにてお別れしようと思います。
長い間本当にありがとうございました。
いつの日か、又皆さんとブログ交流できる日が来れば嬉しいですね。
なすび
追記
shinobueakiraさん
初期の頃より毎回のように励ましのお言葉を頂き
本当に心より感謝しておりました。
今回、やはり博多は東北からは遠いのだなと
実感する事になり残念でなりません。
「原発は悪の長物、いらない物」との趣旨を繰り返したコメントも、
対案を示さず報道と同じ事を書くだけでは伝わりません。
事故が起きてから急にそこばかり強調されても理解され難いです。
被災者の方も原発擁護論を唱えているのではないのです。
危険と裏腹にその恩恵は今や日本人全てが享受している訳ですし
とりわけ今回の被災地では原発によって生み出されるものも多く、
その雇用が有るがゆえに都市部に仕事を求めることなく
故郷で親子何代も一緒に暮らせているご家族がいることも
趣味の合間に思い出していただければ、
被災者の方からの不満もご理解頂けるかと思います。
新聞やニュースは先入観を持たずに読まないと
本当に現地で起こっている大事な事を見落しがちになります。
お金を出す支援も確かに大切ですが、
被災者に耳を傾けたり、被災者の目線や気持ちで物を見る事も
金銭支援と同じように大事な事にも感じます。
shinjiさん
今回の震災ではご家族も被災され大変な思いをされましたね。
あの惨状の中お父様の救援に携われたことは、
私にとっても大きな宝物になりました。
ブログのコメントに何度も不快感を持たれたとの事お許し下さい。
ただ貴方が言う「ゴルフの合間に原発は要らない」と言ったり
「ニュースの受け売りコメント」を繰り替えされた方も思いはひとつ、
”一日も早い復興”だと信じています。
報道は総論を伝えますが、コメントは個人の意見ですから
バックグラウンドの希薄な意見は時に人を傷つけますね。
思い込みの激しいタイプの人はニュース報道を
自分の意見と混同する事も有りがちですから。。。
ただ今は皆が平常心を失っているのかもしれないとも思います。
心を休められたら、その方のお気持ちも届くことを信じています。
ご家族を亡くされたり、ふるさとを失った事は癒えないでしょうが
どうかコメントくださった方の本心を心が落ち着いた後には
いつの日か誤解なく受け止めて頂ければと願います。
wiredさん
何度も優しいコメントをいただきながら、
最後はお許しのチャンスもなく既にこのブログを覗かれることも
なくなっていらっしゃるのでしょう。
残念ながら私は立派な医療従事者にはなれそうにもなく
wiredさんが感じられたように身近な患者さんにとっても
「不快な思いをさせる看護師」だったのかもしれません。
この所のブログのコメント欄から沸き起こる
皆様の意見のすれ違いに、
そろそろブログを辞め様かと思案する日々を送っていた所に
wiredさんのコメントに背中を押され踏ん切りがついたようです。
これからはどうぞ可愛いお子さんたちや美しい奥様の為にも
ご健康にだけは留意され日々の生活を楽しんで下さいね。
ヨッコ先生
最後までフォローをさせてしまったようでしたね。
一度もお会いすることなく最後はコメントのコメントで
気分を害されたのではないでしょうか?申し訳ありませんでした。
いつの日か先生の教え子たちが看護の世界で羽ばたく日を
私も楽しみにしていますよ。
私はそのフィールドに立てる資格は無いかもしれませんが。。。
Happyばあばさん
いつも優しいコメントに感謝してまいりました。
何もお返しが出来ずに申し訳ありませんです。
術後一年を迎えられた頃でしょうし今後も定期健診と体力維持に
ご配慮され笑顔で楽しい日々をお過ごしくださいね。
健康でさえいればいつの日か偶然お会いできるような気もします。
その前に横浜でイタグレ2頭の飼い主さんたちと
ドッグランでお会いするかも知れませんね。
その際はお嬢様方とお友達になれれば嬉しいです。
ニコニコおかみさん
膝の具合はその後いかがですか?
メールでは結局何もお役に立てづにすみませんでした。
お伺いした症状と現状の治療から察するだけですが
今の症状なら早急な置換術が必要ではない状態だと思います。
これからも徐々に徐々に筋力と安静で回復を目指してくださいね。
炎症が軽くなれば痛みも緩和されるはずです。
無理のない様、いつもニコニコとお過ごしくださいね!
徒然さん
最後にメールまで頂きご心配をお掛けし申し訳ありませんでした。
間も無くお腹のお子さんの性別も判明しますね。
持病のことを気にかけられていましたが、もう大丈夫ですよ。
なにせコウセイ君を元気に生み育てているのですもの!
私などに頼らなくともきっと上手く乗り越えられます。
それに今は徒然さんをサポートして下さるブログ仲間も一杯です。
皆さんに不快感やご迷惑をお掛けする私は
静かに消えゆくだけしか出来ませんが
無事のご出産をいつもお祈りして、応援しています。
いつの日かお会いして「ねね」へご一緒したかったですね。。。
sacchinさん
ツインズのご懐妊、そして順調な経過をお過ごしですね。
おめでとうございます。
双子と言うだけでお腹の中にいるうちからお母さんは大変でしょうが
あと二十年もすれば、今の何倍もの喜びに満ち溢れるはずですよ。
この間の入院中も順調に反応されてくれた
お母さん思いの気遣いの出来る!?お子さんたちですもの。
ご出産までもう暫く大変でしょうが、
二十年後・三十年後の喜びを楽しみに故郷の温もりと
ご家族の笑顔に包まれてゆっくりとお過ごし下さいね。
ばーびーちゃん
もうすぐKR君も医療界デビューですね!
学生時代からのご苦労や、母としての強さなどメールを頂いた時は
私はばーびーちゃんのような子供に対し本物の母親になれるのか
かなり真剣に不安でいっぱいになりましたよ。
それは今も変わらず不安なままなのですが、
それ以前に嫁にいけるかの方が当面の心配事に。。
それとも望まれるうちに年内に苗字を変えようかと思ったり。。。
今までもばーびーちゃんのユーモアに励まされ
何度となく笑顔を取り戻せたことか。。。
いつもいつも本当にありがとうごございました。
大野さん
いつも故郷の風景描写に、
海育ちの私は羨ましく拝読させて頂きました。
そしてお父様の教えも未だに私の胸に刻まれています。
素敵なご家族ですね!
どうかいつまでもその優しさと深い思いやりを大切に
素敵な日々をお過ごし下さいね。
本当にありがとうございました。
toshiyanさん
多趣味なtoshiyanさんが今嵌ってらっしゃるのは
パラグライダーですね。
風に左右されることも多いでしょうが、
風をコントロールできた時は壮快でしょうね。
自然を愛し楽しみながらどうぞご健康に留意されて
楽しい日々をお過ごしくださいね。
ママさん看護師さん
いつも先輩CNSとして有意義なアドバイスを頂き感謝しています。
教えを守れず医療界を去ろうかと思う気持ちも日々増す今では
「だからブログなんかやめとけばよかったのに」と
言われそうですね。
でも何度も聞かされたその決まり文句の裏側に
今でも私はここで得たものも大きかったと思っています。
もう少しいろいろ考えてみようかと思います。
チャーミンさん
大学院への受験勉強は捗っていますか?
以前ならいつでも分からないことは聞きに来てねと言えたけど
これからは看護師として自分で道を開かないといけなくなりますね。
良い先輩方が一杯ですからドンドン積極的に聞きに行って
問題は溜めずに解決してくださいね。
役に立たないCNは消えるだけです。。。
あいさん
繰り返す入院と長引く通院生活の中で
私は結局何もお役にたてなかったですね。
治療と向き合う方をサポートする資格は私には無いかも知れないと
この所の皆さんのコメントなど読んで感じています。
最初に入院された夜、「眠れない」と不安になられた事を
覚えていますか?朝までベットサイドにご一緒させて頂きましたね。
お子さんの事ご主人の事、色々お話し下さいましたね。
明け方になって病気への不安や恐怖を初めて吐露され
病気は一人では乗り切れないから一緒に不安を掻き消そうと
約束した時に、やっと笑顔を取り戻して下さいましたね。
大丈夫、私のような無力な人間は消えても
あいさんの周りには有能なスタッフが一杯ですよ。
必ず打ち勝てると信じて病気と向き合って下さいね。
ちょっと離れてしまうけれど私も応援していますよ、お大事に!
こうして書いてみるとこれほど多くの常連の方々に励まされて
私は本当に幸せ者でした。
ありがとうございました。
皆様から頂いたコメントに本当に感謝しています。
誤解やすれ違いは本意ではないのですが
コメントの管理も満足にできずに
結果的に不快感を与えることになったのも私の責任です。
本当に申し訳ありませんでした。
どうぞ皆さん素敵な日々をお過ごしくださいね!
ありがとうございました。
いつまでも、お元気で。。。
2011年05月29日
覚えておいてな・・・
日常に戻った私の職場にも
当たり前のように重症患者さんは毎日搬送されて来ます。
建設現場の足場からの転落事故による外傷。
既に大量の出血が有り、意識混濁しながらもうわ言の様に
救急車から処置室へ移動するストレッチャーの上から
お名前を聞いている私の腕をつかみながらも
何かを訴えている言葉が聞こえました。。。
「忘れないでな・・・」
そう聞こえました。
誰か身内の方と見間違っているのでしょうか、
それとも誰かへ託す言葉なのか。。。
転落時に足場の下に置いてあったエクステリアの部材に
下腹部が刺さるような形で落ちているので出血以上に
臓器損傷が著しく緊急オペに移行しましたが
残念ながら助ける事は出来ませんでした。
そしてその後この患者さんの身元についてちょっと問題が・・・
雇用されていた工務店の方がご家族へ連絡されたようですが
履歴書に書かれた連絡先には誰もいらっしゃらないようで
しかも持っていた運転免許証と履歴書の名前が別人だったそうです。
ご遺体を一時病院でお預かりしている間に
工務店の方が履歴書の住所を尋ねると、
そこに記された名前はお兄様のお名前でご本人は免許証の方でした。
色々ご事情があったようですが、名前を伏して職を探し
最期はお兄様になりきった形で旅立たれてしまいました。
「忘れないでな・・・」
あの言葉の意味は、
もしかしたらご本人様の自分としての存在そのものを
誰かに忘れないでいて欲しいと、そう託されたのかも知れませんね。
自分がこの世に存在したその証を誰かに「忘れないで」と
そう最期の瞬間に願ったのでしょうか!?
その本位は今となっては分かりません。
それでも最期に言葉を掛けられた相手として、
私は忘れないようにしていきましょう。
この所、ここでも心を震わす事が多くて疲れました。
少し休みましょうかねぇ。。
2011年05月22日
接種スケジュール
この所、暗い話題の多かった私の周りに
徐々にですが明るいGood Newsが届き始めました
そして時々質問されるのが、新生児のワクチン接種について・・・。
その副作用なども気になる事柄ですが、
まずはその摂取スケジュールが
先日小児化学会から発表されていましたので
ここへ添付してみます。
お子さんのいらっしゃる方々は既にかかりつけ医などで
目にされているかも知れませんが
結構、これに関する質問も多いので一応張っておきますね!
お子さんやお孫さんのためにも参考になればと思います。。
子どものワクチンをどんな時期に打てばよいのか道筋を示した接種スケジュールを日本小児科学会(会長=五十嵐隆東京大教授)がつくった。ワクチンの種類が最近増えて接種の優先順位をどうすべきか医師や保護者に困惑が広がっていた。近く学会のウェブサイトで公開する。
ワクチンは公費負担がある「定期接種」と自己負担で打つ「任意接種」がある。同学会は今回、重要さは同じだと位置づけ、ひとまとめにしたスケジュールをつくった。
B型肝炎は現在、母親から子どもへの感染を防ぐため、ウイルスに感染した母親の子どもに限って公費で接種している。しかし性交渉などによる感染も増えており、スケジュールでは全員が打つよう勧めている。
毎年のように流行し100万人近くがかかるという水痘(水ぼうそう)や流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)では、1回接種しただけでは十分に免疫(抵抗力)が保てないため、今回は推奨する接種回数を増やした。
また海外の取り組みにならい、接種を始める年齢を、乳幼児の細菌性髄膜炎の原因となるインフルエンザ菌b型(ヒブ)や肺炎球菌で1カ月早めた。インフルエンザでも6カ月前倒しにした。
数多くのワクチンが打てるよう、複数のワクチンを医師が同じ日に打つ方法(同時接種)も勧めている。同じ日ならワクチンに対する免疫反応がまだ起きておらず、複数のワクチンが効果を相殺する心配はない。ただし注射位置は2.5センチずつ空けるよう求めている。推奨する時期に接種できなかった場合は、医師に相談すれば対応できる。
接種スケジュールと接種を記録するチェックシートは同学会のウェブサイト(http://www.jpeds.or.jp/)からダウンロードできるようになる。
同学会は今後、▽成人での流行が問題になっている百日ぜき対策として、現行のジフテリアと破傷風の2種混合ワクチン(DT)に百日ぜきも加えた3種混合ワクチン(DTP)に移行▽ポリオワクチンをより安全な不活化ワクチンに変える▽0歳児へのインフルワクチン接種量を増やしてより免疫がつきやすくする、ことなどを厚生労働省などに求めていく予定。(