2011年12月07日
憎みあっても何も生まれないから。。。
So this is Xmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun
And so this is Xmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Xmas
For weak and for strong
The rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas (War is Over)
And what have we done (if you want it )
Another year over (war is over )
And a new one just begun ( now )
And so this is Christmas (War is Over)
And we hope you have fun (if you want it )
The near and the dear ones (war is over )
The old and the young ( now )
A very merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over, if you want it
War is over now
もうすぐクリスマスだね!
あなたにはどんな一年だった?
もうすぐこの一年も終わり
また新しい年が始まるよ
そうだからクリスマス
素敵な一日をね!
愛するあの人に
そしてすべての人に
心を込めてメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね
恐れも何もない。。
そうだからクリスマス
落ち込んでいる人 気丈な人
お金持ち 貧しい人
世の中は変だよね!
でもハッピークリスマス
黒くても白くても
黄色でも赤くても・・・
もう争いはやめよう
みんなへメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね!
不安も何もなく
さあもうすぐクリスマスだよ (戦争は)
あなたとってどんな一年だった? (終わるさ)
強烈なこの一年も間も無く終わり (君が)
またもっと素敵な新しい年が始まるさ (望めば)
そうだからクリスマス (対立は)
素敵な一日をね! (終わるさ)
愛するあの人に (みんなが)
そしてすべての人に (望めば)
心からメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね!
余震や放射能汚染の恐れも病気の恐怖も何もなく。。。
争いは 終わるさ
みんなが望めば
今すぐ 終わるさ 必ず。。。
壊滅的な国難を受けたこの年も残すところ半月あまりですね。
色々な方々が辛い思いや悲しい別れ、
見えぬ危機との不安な日々を過ごし
まだ先の展望も見いだせないでいる辛い日常は今も同じ。。
考え方の行き違いなどから起こる不快感や嫌悪感。
辛い言葉を浴びせられたり、浴びせている事に気付かなかったり。。。
でもそれも含めて今を生きているんですよね!?
もう憎しみ合うのはやめましょう。
そう願い合えればこの感情の行き違いも終わるはず。
そう信じて前をむいていきたいと思います。
折角あの震災を生き残った命なのですから。。。
War is over, if you want it
War is over now
2011年11月11日
愛の兆し
そんな日に市民運動が行政を動かし出した
そんな暖かい記事に触れました。
静岡では東京都についで
県単位での「ガレキ」の受入を表明したとか・・
それも行政から名乗り出たのではなく、
市民運動の中から受入を自分たちの手で
市町村へ要望して実現された稀な例のようです。
静岡には浜岡原発が有るために
市民感情もガレキ受け入れには敏感で
当初は放射能汚染物を県内に持ち込むなど許されない
そんな雰囲気だったそうで行政も積極的には動かなかったようです。
そんな中から市民の手で、
「反原発を訴えるだけでなく今は痛みを分かち合って復興を目指そう」
と、自然発生的に同じ原発保有地の
福島の苦悩に手を差し伸べたようです。
同じ痛みを分かち合い、
不平や不満を政府のせいと文句を言っていた時期から
前をむいて皆でどうやって反原発のために動けるか
そう考えた際に、先ずは復興の助力のために
ガレキの処理のお手伝いと受入を市民レベルで
行政に掛け合って実現されたそうでした。
もちろん厳格な安全基準を確認した上での
受入れになるのは当然でしょうが、
その基準作りにも「反原発」を謳っていた人たちが関わり
政府や原発批判のパワーを
復興への力に置き換えて実現されたそうでした。
市民の一歩一歩の小さな力からでも、こうして徐々にでも復興へ
そして国がひとつになって立ち直っていく初動を起こしたのですね!
辛くとも生きていくためには一人じゃないと
そう信じられる事が一番大切に感じます。
同じ原発立県というだけでなく、
市民の心の優しさと大人の対応に災害救援に携わったものとして、
感謝の気持ちで一杯になった8ヶ月目です。
そして少し救われた気分になった、そんな一日になりました。
2011年11月03日
恩讐の彼方へ ~生きるために・元気になるために・・・
北山修
人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ振りかえる
プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ 風が吹いているだけ
振りかえらず ただ一人 一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ 風が吹いているだけ
吹いているだけ
吹いているだけ
青葉城恋唄
星間船一
広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない
青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹かげこぼれる灯に ぬれていた君の頬
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
2011年10月31日
忘れてはいけないこと
海外メディアが報じた震災直後のニュース画像を編集された
生々しい映像が収録されています。
その中にはショッキングなものも多数含まれています。
お子様や妊産婦の方、ご病気が気になる方
そして精神的に落ち込んでいる状態の時などは
ご覧になられないようお願いします。
ご遺体への尊厳などに対し意見も分かれる事でしょうが
これが震災被害の現実なのです。。。
そして私たち救援隊がどこの災害現場でも
真っ先に目にせざるを得ない光景でもあります。
そして被災者は老若男女問わず、
このような悲惨な現実を目の当たりにされ
辛く悲しい思いを突如として胸の中へ打ち込まれてしまうのです。
この映像をUpされた方も仰っていますが
今、この中から必死に復興を目指している方々がいらっしゃる事を
どうか忘れないでいてください。
軽々に安易な励ましや自分勝手な思い込みの言葉ではなく
もう一度考えてみてください。
今ご自分自身が、そしてご家族が、友人が。。。
この瞬間を同時に過ごせている、その幸せを!
被災者の事を考えられずに、
自分の浅はかな思い込みや、うかれムードからなのか
失言を重ねる大臣がいるこの国でも
人を思いやる心は生きているはずです。
政府や原発批判を口にする事で
自分が正義を謳っていると勘違いする人もいます。
でも批判するのは安易で、そして悲しいほど無責任な行為です。
批判する以上その対案が、
そしてその為にどう行動するかを補足して欲しいと願います。
批判を口にするだけでは何も進まないことに気づいて
復興の助力として、ひとりひとりが何ができるかを、
何をするべきかを、もう一度考えて貰えたなら。。。
行動や実践ではなくとも、せめて被災者の境遇や現実を理解され
心無い言葉で傷つける事の無いよう
自分の言動や書き込みを心がけるだけでも優しさは伝わるはずです。
恐ろしいのは失言を失言と気づかずに口にすること。
寄付をしたから一言口を出す権利があると思われること。
そしてあの悲惨な現実を忘却してしまうこと。。。
時が行けば自分の生活圏での日常に彼の地のことは
いつしかテレビ画面の向こう側のものとなってしまうでしょう。。
代々暮らし伝わって来た故郷を失った被災者が
どんな気持ちでこれからも被災した土地で暮らし、
復興を目指して行くのかを、
自身の立場や住み慣れた土地へ置き換えて考えられたなら、
そのコメントを被災者がどう受け止めるかわかるはず。
決して被災者の心理状態の悪いタイミングに
発したからではないと言うことにも。。。
それだけ故郷を、現実の生活を、大事な人を
一瞬にして失った方々のトラウマが
悲しいほど大きい事に気づいて頂けるはずです。
そしてこの災いは、次の瞬間にも自分自身の身へ
降り掛かって来るやも知れない恐怖でもあるのですから・・・
自分に言い訳をすることだけはしないよう。。。
私はその言葉を胸に、被災地にエールを送れるよう、
できうる範囲での仕事をしていくだけでしかありません。
2011年06月11日
ありがとうございました。。。
一期一会を大切に、ひと時の出会いも糧となると信じ
私のフィールドと救援活動の一部を
自分なりに書き綴ってきたこのブログですが。。。
ブログを通して楽しい思い出や、
読んでくださった方々の率直な意見などに励まされ
そして患者さんや世界中でケアを必要とされた被災者の方への
フィードバックの一部として続けてきたこのライフワークも
ここへ来ていくつかの決断をしなければならない事になりました。
このブログを通して「嫌な気分になられた方」がいらっしゃること。
単純にその事だけでも続けていく事はいけないのですよね。
ブログを読んで下さった方々が、
色々な意見をコメントとして残してくださることに私は本当に励まされ、
そして活力を頂き現場で生かす事が出来ました。
それは救命での搬送患者さんのケアであったり
中越や四川・ハイチやクライストチャーチ、そして東北でも・・・。
身に危険を感じたときもコメントに励まされたり勇気付けられたり
その力は不思議なほど本当に大きなものでした。
人の命を預かる業務と言うとオコガマシイ事かも知れませんが
自分なりに生死を分かつ思いをしている方々をケアの面からサポートし
そしてQOLに沿った復帰をお手伝いしてきた心算でいました。
ですからコメントでの意見の相違、そして私個人への非難・誹謗も
応援歌として受け止めてきたこのブログでした。
ただここへ来て広域的な国難を迎えて、
その渦中にいる方と、遠方より応援して下さる方との
受止め方の僅かな行き違いに私自身が翻弄される状態です。
その後、他のコメントからも意図した事とは異なる反応も現れ始め
私の手の届かない所で色々な方々が不快な気分になられていることに
今は私自身混乱している次第です。
もう少し私に気力のあるタイミングなら、
今とは違った対応も出来るのでしょうけれど
この所の派遣・支援などの中で、力を尽くしても無力のうちに
悲しい別れや替って上げられたらと思う程の小さなお子さん達の苦難、
一瞬にして変わってしまった生活環境などの対応に
私自身の未熟さも手伝って、多くの時間を費やす事になり
今は心身ともに精一杯の日々を過ごしています。
そう言ったタイミングでこのブログでの誤解を解く努力を初め
不快感を味わった方へのお詫びや
前向きな対応を起こす気力を持てずにいる現状に
本当に皆様にはご迷惑と多大な不快感を与えてしまっているようです。
こういう書き方をすると、それ自体が他人事のようでいい加減すぎると
またお叱りを受けてしまいそうですが、
今の私には多くの言葉を選ぶ余裕すらなく
書き綴る事で逆にブログに訪れて下さる方を
無意識のうちとは言え不快にしている事でしょう。
人との出会いを大切にしていきたいと始めたブログが
人とのつながりを不快なものにしている今の状態に
これ以上続ける意味さえ見いだせないでいるのが現状です。
本当に不快にさせてしまった方々には心よりお詫びいたします。
既にURLを削除され、この文章を読まれる事の無い方もいるでしょう。
そう言った方へは、お詫びの言葉も通じることなく
ただただ申し訳なく思う事しか出来ずにいます。
やはりブログである以上、文章での表現しかなく
私のような拙い文字の羅列しかできない者にとっては
結果的に皆さんに不快感を与えるだけでしかなかった事が
悲しいかな今まで綴ってきた答えでした。
皆様から頂いたコメントの一つ一つは私への励ましでありお叱りであり
そのすべてが私を育てて下さった大切でありがたい物でした。
ですからこれからもここを削除することなく、
私の宝物として、時に読み返してみて反省に当てたいと思います。
前の記事にコメントを頂いていた方々へお返事の言葉も見つからず
この文章に代えさせて頂きます事を心よりお詫びし、
あわせてお許し願いたいと思います。
今まで本当にありがとうございました。
コメントからコメントへと意見の擦れ違いや誤解も生じましたし
私のこのブログを読むことで不快感を味あわせてしまった方々には
本当に申し訳ありませんでした。
今まで、どうすれば看護の技術向上を実践に生かし広められるか
患者さんやご家族の為にどのようなQOLに生かせるかなど考えながら
私なりにこの看護と言う業務に当ってきましたが
ブログでさえ皆様を傷つけ不快な気分にしてしまう私に
今は今後自分が医療の世界に身を置いていていいのか
私のやった事は結果的に、
「人を不快にさせてしまっただけ」でしかなかったのではないか。
そう言った疑問に自問自答する日々を送っています。
ブログを通し出会えた皆様との繋がりを私は勝手に宝物として
その出会いの素晴らしさを誇りに思っていました。
その裏側に、不快に思われる方がこれほどいたのか
などと言うことを全く気づかずに・・・
今回のコメントの中でのすれ違いや誤解なども
その方々にとっては許しがたい不快感でしかなかったのですものね。
本当にごめんなさい。
ですので少しブログを離れようと思います。
色々な事が一時に押し寄せ、かなり疲れてしまいました。
最後にもう一度だけお許し願えればと思いお詫びいたします。
すみませんでした。
既にここを見る事さえ避けている方もいらっしゃるでしょうが
いつの日か何かの間違いでも構わないので
ここを覗かれた際に、お詫びの気持ちだけでもお伝えできればと願い
離れさせて頂きたいと思います。
ある昼下がりに、どこかの公園などでお散歩しているワンコを
「ランディ」と呼びよせている者が居たら、
もしかしたらそれは私かも知れません。
そんな時は、「あのブログでひどく嫌な気分にされたんだ」と
お叱りでも構いません。
お声を掛けて下されば今まで続けてきた甲斐にもなります。
末筆ながら、皆様のご多幸とご健康を祈りながら
お詫びにてお別れしようと思います。
長い間本当にありがとうございました。
いつの日か、又皆さんとブログ交流できる日が来れば嬉しいですね。
なすび
追記
shinobueakiraさん
初期の頃より毎回のように励ましのお言葉を頂き
本当に心より感謝しておりました。
今回、やはり博多は東北からは遠いのだなと
実感する事になり残念でなりません。
「原発は悪の長物、いらない物」との趣旨を繰り返したコメントも、
対案を示さず報道と同じ事を書くだけでは伝わりません。
事故が起きてから急にそこばかり強調されても理解され難いです。
被災者の方も原発擁護論を唱えているのではないのです。
危険と裏腹にその恩恵は今や日本人全てが享受している訳ですし
とりわけ今回の被災地では原発によって生み出されるものも多く、
その雇用が有るがゆえに都市部に仕事を求めることなく
故郷で親子何代も一緒に暮らせているご家族がいることも
趣味の合間に思い出していただければ、
被災者の方からの不満もご理解頂けるかと思います。
新聞やニュースは先入観を持たずに読まないと
本当に現地で起こっている大事な事を見落しがちになります。
お金を出す支援も確かに大切ですが、
被災者に耳を傾けたり、被災者の目線や気持ちで物を見る事も
金銭支援と同じように大事な事にも感じます。
shinjiさん
今回の震災ではご家族も被災され大変な思いをされましたね。
あの惨状の中お父様の救援に携われたことは、
私にとっても大きな宝物になりました。
ブログのコメントに何度も不快感を持たれたとの事お許し下さい。
ただ貴方が言う「ゴルフの合間に原発は要らない」と言ったり
「ニュースの受け売りコメント」を繰り替えされた方も思いはひとつ、
”一日も早い復興”だと信じています。
報道は総論を伝えますが、コメントは個人の意見ですから
バックグラウンドの希薄な意見は時に人を傷つけますね。
思い込みの激しいタイプの人はニュース報道を
自分の意見と混同する事も有りがちですから。。。
ただ今は皆が平常心を失っているのかもしれないとも思います。
心を休められたら、その方のお気持ちも届くことを信じています。
ご家族を亡くされたり、ふるさとを失った事は癒えないでしょうが
どうかコメントくださった方の本心を心が落ち着いた後には
いつの日か誤解なく受け止めて頂ければと願います。
wiredさん
何度も優しいコメントをいただきながら、
最後はお許しのチャンスもなく既にこのブログを覗かれることも
なくなっていらっしゃるのでしょう。
残念ながら私は立派な医療従事者にはなれそうにもなく
wiredさんが感じられたように身近な患者さんにとっても
「不快な思いをさせる看護師」だったのかもしれません。
この所のブログのコメント欄から沸き起こる
皆様の意見のすれ違いに、
そろそろブログを辞め様かと思案する日々を送っていた所に
wiredさんのコメントに背中を押され踏ん切りがついたようです。
これからはどうぞ可愛いお子さんたちや美しい奥様の為にも
ご健康にだけは留意され日々の生活を楽しんで下さいね。
ヨッコ先生
最後までフォローをさせてしまったようでしたね。
一度もお会いすることなく最後はコメントのコメントで
気分を害されたのではないでしょうか?申し訳ありませんでした。
いつの日か先生の教え子たちが看護の世界で羽ばたく日を
私も楽しみにしていますよ。
私はそのフィールドに立てる資格は無いかもしれませんが。。。
Happyばあばさん
いつも優しいコメントに感謝してまいりました。
何もお返しが出来ずに申し訳ありませんです。
術後一年を迎えられた頃でしょうし今後も定期健診と体力維持に
ご配慮され笑顔で楽しい日々をお過ごしくださいね。
健康でさえいればいつの日か偶然お会いできるような気もします。
その前に横浜でイタグレ2頭の飼い主さんたちと
ドッグランでお会いするかも知れませんね。
その際はお嬢様方とお友達になれれば嬉しいです。
ニコニコおかみさん
膝の具合はその後いかがですか?
メールでは結局何もお役に立てづにすみませんでした。
お伺いした症状と現状の治療から察するだけですが
今の症状なら早急な置換術が必要ではない状態だと思います。
これからも徐々に徐々に筋力と安静で回復を目指してくださいね。
炎症が軽くなれば痛みも緩和されるはずです。
無理のない様、いつもニコニコとお過ごしくださいね!
徒然さん
最後にメールまで頂きご心配をお掛けし申し訳ありませんでした。
間も無くお腹のお子さんの性別も判明しますね。
持病のことを気にかけられていましたが、もう大丈夫ですよ。
なにせコウセイ君を元気に生み育てているのですもの!
私などに頼らなくともきっと上手く乗り越えられます。
それに今は徒然さんをサポートして下さるブログ仲間も一杯です。
皆さんに不快感やご迷惑をお掛けする私は
静かに消えゆくだけしか出来ませんが
無事のご出産をいつもお祈りして、応援しています。
いつの日かお会いして「ねね」へご一緒したかったですね。。。
sacchinさん
ツインズのご懐妊、そして順調な経過をお過ごしですね。
おめでとうございます。
双子と言うだけでお腹の中にいるうちからお母さんは大変でしょうが
あと二十年もすれば、今の何倍もの喜びに満ち溢れるはずですよ。
この間の入院中も順調に反応されてくれた
お母さん思いの気遣いの出来る!?お子さんたちですもの。
ご出産までもう暫く大変でしょうが、
二十年後・三十年後の喜びを楽しみに故郷の温もりと
ご家族の笑顔に包まれてゆっくりとお過ごし下さいね。
ばーびーちゃん
もうすぐKR君も医療界デビューですね!
学生時代からのご苦労や、母としての強さなどメールを頂いた時は
私はばーびーちゃんのような子供に対し本物の母親になれるのか
かなり真剣に不安でいっぱいになりましたよ。
それは今も変わらず不安なままなのですが、
それ以前に嫁にいけるかの方が当面の心配事に。。
それとも望まれるうちに年内に苗字を変えようかと思ったり。。。
今までもばーびーちゃんのユーモアに励まされ
何度となく笑顔を取り戻せたことか。。。
いつもいつも本当にありがとうごございました。
大野さん
いつも故郷の風景描写に、
海育ちの私は羨ましく拝読させて頂きました。
そしてお父様の教えも未だに私の胸に刻まれています。
素敵なご家族ですね!
どうかいつまでもその優しさと深い思いやりを大切に
素敵な日々をお過ごし下さいね。
本当にありがとうございました。
toshiyanさん
多趣味なtoshiyanさんが今嵌ってらっしゃるのは
パラグライダーですね。
風に左右されることも多いでしょうが、
風をコントロールできた時は壮快でしょうね。
自然を愛し楽しみながらどうぞご健康に留意されて
楽しい日々をお過ごしくださいね。
ママさん看護師さん
いつも先輩CNSとして有意義なアドバイスを頂き感謝しています。
教えを守れず医療界を去ろうかと思う気持ちも日々増す今では
「だからブログなんかやめとけばよかったのに」と
言われそうですね。
でも何度も聞かされたその決まり文句の裏側に
今でも私はここで得たものも大きかったと思っています。
もう少しいろいろ考えてみようかと思います。
チャーミンさん
大学院への受験勉強は捗っていますか?
以前ならいつでも分からないことは聞きに来てねと言えたけど
これからは看護師として自分で道を開かないといけなくなりますね。
良い先輩方が一杯ですからドンドン積極的に聞きに行って
問題は溜めずに解決してくださいね。
役に立たないCNは消えるだけです。。。
あいさん
繰り返す入院と長引く通院生活の中で
私は結局何もお役にたてなかったですね。
治療と向き合う方をサポートする資格は私には無いかも知れないと
この所の皆さんのコメントなど読んで感じています。
最初に入院された夜、「眠れない」と不安になられた事を
覚えていますか?朝までベットサイドにご一緒させて頂きましたね。
お子さんの事ご主人の事、色々お話し下さいましたね。
明け方になって病気への不安や恐怖を初めて吐露され
病気は一人では乗り切れないから一緒に不安を掻き消そうと
約束した時に、やっと笑顔を取り戻して下さいましたね。
大丈夫、私のような無力な人間は消えても
あいさんの周りには有能なスタッフが一杯ですよ。
必ず打ち勝てると信じて病気と向き合って下さいね。
ちょっと離れてしまうけれど私も応援していますよ、お大事に!
こうして書いてみるとこれほど多くの常連の方々に励まされて
私は本当に幸せ者でした。
ありがとうございました。
皆様から頂いたコメントに本当に感謝しています。
誤解やすれ違いは本意ではないのですが
コメントの管理も満足にできずに
結果的に不快感を与えることになったのも私の責任です。
本当に申し訳ありませんでした。
どうぞ皆さん素敵な日々をお過ごしくださいね!
ありがとうございました。
いつまでも、お元気で。。。
2011年05月29日
覚えておいてな・・・
日常に戻った私の職場にも
当たり前のように重症患者さんは毎日搬送されて来ます。
建設現場の足場からの転落事故による外傷。
既に大量の出血が有り、意識混濁しながらもうわ言の様に
救急車から処置室へ移動するストレッチャーの上から
お名前を聞いている私の腕をつかみながらも
何かを訴えている言葉が聞こえました。。。
「忘れないでな・・・」
そう聞こえました。
誰か身内の方と見間違っているのでしょうか、
それとも誰かへ託す言葉なのか。。。
転落時に足場の下に置いてあったエクステリアの部材に
下腹部が刺さるような形で落ちているので出血以上に
臓器損傷が著しく緊急オペに移行しましたが
残念ながら助ける事は出来ませんでした。
そしてその後この患者さんの身元についてちょっと問題が・・・
雇用されていた工務店の方がご家族へ連絡されたようですが
履歴書に書かれた連絡先には誰もいらっしゃらないようで
しかも持っていた運転免許証と履歴書の名前が別人だったそうです。
ご遺体を一時病院でお預かりしている間に
工務店の方が履歴書の住所を尋ねると、
そこに記された名前はお兄様のお名前でご本人は免許証の方でした。
色々ご事情があったようですが、名前を伏して職を探し
最期はお兄様になりきった形で旅立たれてしまいました。
「忘れないでな・・・」
あの言葉の意味は、
もしかしたらご本人様の自分としての存在そのものを
誰かに忘れないでいて欲しいと、そう託されたのかも知れませんね。
自分がこの世に存在したその証を誰かに「忘れないで」と
そう最期の瞬間に願ったのでしょうか!?
その本位は今となっては分かりません。
それでも最期に言葉を掛けられた相手として、
私は忘れないようにしていきましょう。
この所、ここでも心を震わす事が多くて疲れました。
少し休みましょうかねぇ。。
2011年05月22日
接種スケジュール
この所、暗い話題の多かった私の周りに
徐々にですが明るいGood Newsが届き始めました
そして時々質問されるのが、新生児のワクチン接種について・・・。
その副作用なども気になる事柄ですが、
まずはその摂取スケジュールが
先日小児化学会から発表されていましたので
ここへ添付してみます。
お子さんのいらっしゃる方々は既にかかりつけ医などで
目にされているかも知れませんが
結構、これに関する質問も多いので一応張っておきますね!
お子さんやお孫さんのためにも参考になればと思います。。
子どものワクチンをどんな時期に打てばよいのか道筋を示した接種スケジュールを日本小児科学会(会長=五十嵐隆東京大教授)がつくった。ワクチンの種類が最近増えて接種の優先順位をどうすべきか医師や保護者に困惑が広がっていた。近く学会のウェブサイトで公開する。

ワクチンは公費負担がある「定期接種」と自己負担で打つ「任意接種」がある。同学会は今回、重要さは同じだと位置づけ、ひとまとめにしたスケジュールをつくった。
B型肝炎は現在、母親から子どもへの感染を防ぐため、ウイルスに感染した母親の子どもに限って公費で接種している。しかし性交渉などによる感染も増えており、スケジュールでは全員が打つよう勧めている。
毎年のように流行し100万人近くがかかるという水痘(水ぼうそう)や流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)では、1回接種しただけでは十分に免疫(抵抗力)が保てないため、今回は推奨する接種回数を増やした。
また海外の取り組みにならい、接種を始める年齢を、乳幼児の細菌性髄膜炎の原因となるインフルエンザ菌b型(ヒブ)や肺炎球菌で1カ月早めた。インフルエンザでも6カ月前倒しにした。
数多くのワクチンが打てるよう、複数のワクチンを医師が同じ日に打つ方法(同時接種)も勧めている。同じ日ならワクチンに対する免疫反応がまだ起きておらず、複数のワクチンが効果を相殺する心配はない。ただし注射位置は2.5センチずつ空けるよう求めている。推奨する時期に接種できなかった場合は、医師に相談すれば対応できる。
接種スケジュールと接種を記録するチェックシートは同学会のウェブサイト(http://www.jpeds.or.jp/)からダウンロードできるようになる。
同学会は今後、▽成人での流行が問題になっている百日ぜき対策として、現行のジフテリアと破傷風の2種混合ワクチン(DT)に百日ぜきも加えた3種混合ワクチン(DTP)に移行▽ポリオワクチンをより安全な不活化ワクチンに変える▽0歳児へのインフルワクチン接種量を増やしてより免疫がつきやすくする、ことなどを厚生労働省などに求めていく予定。(
2011年05月17日
帰任報告会
災害医療等に携わるスタッフ向けの
現地活動報告会を行う事になりました。

その前に指導教授などを交えて現状支援の不備など
現地で実際に感じてきた事を報告、指導を頂いています。
一人だけ白衣ではないDr.が災害救命のドン的教授です!

現地では震災直後の救命活動のほか
避難所に落ち着いてから体調を崩される方も多く
低体温症への対応や心筋梗塞や脳梗塞の原因になる血栓予防などと
それぞれへのメンタルケアなどについて実際に行った活動とその推移
そして気になっていた点などを報告し教授陣から指導を受けました。
その後久しぶりにステーションに顔を出したら・・・

懐かしい笑顔で皆が迎えてくれました(^^)
でも仕事もしっかりしていますよ!!
この時だけはちょっとだけ手の空いたスタッフが集まってくれて
無事の帰任を祝してくれました♪

そして週末の外来を利用してスタッフ以外にも
現地の事などに興味のある患者さんもいらして報告会開始です!
スタッフ向けの報告会だったのですが、
週末と言う事もあって患者さんにもオープンにした方が
こう言った活動の普及などに興味を持っていただけたりするので
急きょ会議室から外来ロビーに場所を移しての開催でした。
私もあわてて白衣から着替えましたよ(-_-;)
内容は患者さん向けの一般的なものから
スタッフ向けのものまで前後半に分けての二部制で行い
現地の惨状と震災発生直後の救命医療からその後の健康管理まで
事後に生かせるようなデータとしても有益なものになりました。
兎角医療者の立場からの視線に偏りがちな救助救命活動も
見学頂けた入院患者さんの素朴な意見や質問などから
多角的視野を持って今回の活動を見直すきっかけにもなりました。
そう言う意味でもオープンにした事は意味のある事でしたよ!
まだこれで支援活動が終了した訳ではないのですが
取敢えずの現地活動報告も出来たので一安心でした。
既に通常業務へ戻っている毎日ですが
今後もまた要請が有れば現地へ向かう事になります。
それまでご迷惑をお掛けしたスタッフの為にも
頑張らなくてはいけませんね!
余りの惨状の規模に、ちょっと心が疲れた派遣でしたが
そろそろしっかりしないと!!
2011年05月11日
心の片隅に。。。
被災者の方々の健康管理やPTSDなどのケアに当たってきました。
残念ながら東北一帯には元々PTSDに精通した専門医は
一人もいらっしゃらなかったこともあって
(この分野に精通した専門医は国内に20名ほどしかいないのですが)
必要に応じて関東や関西圏の専門病院と連絡して受診や搬送の
手続きなどの業務をこなしてきました。
福島では前回記事に書いた女の子へ渡す写真とメッセージを
そのお父さんへ託す事も出来ました。
お嬢さんはおばさんの家から転校先の小学校へ通っているそうです。
でも未だにお母さんと妹さんの行方は分かっておらず
お父さんもお仕事の関係で避難所を離れられず
お嬢さんは気丈にも顔では笑っていても、
お友達もいない新しい街の学校でツライ思いをしているのではと
不安の色を隠せない表情で話してくださいました。
ある風の強い日にお嬢さんが転校した先の学校で、
「風が強いから福島から放射能が飛んで来ないでくれ!」と
心無い言葉を浴びせられ泣いて帰ってきた事があったと
預かってくれているおばさんから連絡が有ったそうです。
子供はいじめと言う意識がなくともこうした言葉を発してしまいますね。
言われた側は心に深く傷のつく言葉になってしまう事に気づかずに。。
お父さんは悔しさとも悲しさとも思える口調で
「自分の所にさえ放射能が飛んでこなければ良いということか!?
子供が口にするんだから、周りの大人が日頃から言っているんだろう」
そうボソッと口にされました。
そして涙声で
「みんなで一緒になって頑張ろうとか地方の人が言うけれど
結局はこうした自分が良ければそれで良いという人がいるんだな。
口先だけの応援なら簡単だよな。
罪のない子供にだけは人を信頼できる社会にして欲しいけれどな」
口先だけの応援なら簡単だよな。
この言葉がいまだに胸に重く残っています。
ふざけて出た言葉としても「自分さえよければ良い」と言う感性が
子供たちの心に生まれる事が無いと良いのですけれど・・・
例え周りの大人がそんな言葉を口にしていても
他人の痛みの分かる人間に育ってくれる事を望みたいですね。。。
いくつか回った避難所の一つでもあった岩手の被災地の男の子が
「あの日」を毎日小学生新聞に体験日記として寄せていました。
読まれた方もいるかも知れませんが
小学生でも大人でも関係なく、一瞬で人生を変えた「あの日」を
この男の子の視点で感じて頂ければと思い転載します。
そしてこの子と同じような悲しみを味わったお子さんたちが
今も同じ日本の中にいる事をどうか心の片隅に置いておいてください。
大人として心無い言葉を発することのないためにも。。。
◇3月11日
卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。
◇3月18日
津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。
◇3月23日
卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。
◇3月25日
親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。
ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。
◇3月26~27日
見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。
◇3月28日
きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。
◇4月7日
きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。
今日は本当にありがたい日だ
両親を失った震災孤児は既に130人を超え、
阪神大震災時を超えています。
そのうち既に身内や親族等に引き取られた子供たちは
おおよそ8割ほどだそうです。
そのほかの子供たちは児童養護施設などへの入所も検討され
住んでいた街を離れるだけでなく
友人知人とも隔絶された新しい道を歩まなければなりません。
避難所でご両親を亡くし兄弟二人だけで暮らしていた
高校生の男の子は弟の為に学校を辞める決意をされました。
高校の先生も何度か避難所に来ては慰留していましたが
彼は自分が働けば養護施設ではなく、弟と二人で暮らせるからと
住込みで弟の同居を許可してくれる働き口を先生と話合っていました。
一瞬にして子供たちの人生を変えてしまった出来事から
今日で二か月がたちました。
今被災地は大人も子供も全力で必死に耐えて
そして一日でも早く立ち上がろうとしています。
その力を砕くような
「福島から放射能が飛んでこなければいい」
「自分の所にさえ被害がなければいい」と言う考え方。
そんな考え方をする人がいない事を信じて・・・
2011年04月23日
約束
最初の被災地派遣は震災直後。
震災による怪我や環境変化による体調不良やPTSD、
クラッシュ症候群などの可能性のある患者さん、
そして元々地元の病院に入院されていた重篤患者さんを
地域外の通常医療行為が可能な病院へ搬送する為の活動でした。
二度目の派遣は、
救命救急患者さんの発生が一通り落ち着き
各地に避難所が設営され、ひとまず命を繋ぎ留めた方々が
避難所での生活の中での体調悪化や持病の継続治療のなどの為
被災者の皆さんの健康管理やメンタルケア
避難所の衛生管理が主な仕事として、いくつかの避難所を回りました。
今後もこう言った健康管理などがメインになる派遣が続くでしょう。
メンタルケアを含めて医師・保健師・看護師などが
連携しながらの復興助力を続けていければと思います。
派遣メンバーも数に限りがあるので1~2週間程度の交代制で
日本各地から集散して活動することになります。
そんな中前回の派遣時にあった思い出と約束を書いておきます。
避難所にも大小色んな規模のものがあり
500人程が暮す主要避難所や30人程の公共施設などを回りました。
その中では多くの場合、家族単位でまとまっていられますが
元々一人暮らしだったお年寄りや、
家族と離ればなれになってしまった方が
お友達や知り合いの方と寄り添って場所を得てらっしゃいました。
私が常駐するようになって直ぐに
「夜鳴きする子供がいてうるさくて眠れない」
そう言うクレームが有りました。
あれだけの怖い思いをしたのですから、
子供たちがいつも通り寝れるわけないのに、そんなに怒らなくとも・・
そう思ったのですが、一応その子の話を聞いてみると。。。
小学2年生の女の子なのですが、
家族はお父さんだけが一緒に避難所にいて
お母さんや妹さんはあの日以降津波にのまれたのか
行方不明なのだそうです。
しかもお父さんは原発関連の職種に就いているので
昼間は近所の知合いの方に預けられ
ずっと一人で避難所生活を送っていました。
自宅から離れた避難所なので小学校のお友達も殆どいなくて
お父さんがいない時は本当に心細い思いをしていたのでしょうね。
お父さんの仕事が24時間制の勤務のようで
一日おきに夜も不在となってしまうそうです。
そんな時にどうしても淋しさに襲われて夜鳴きをするのだそうです。
あの恐怖を体験したのですからご家族揃った家庭のお子さんですら
子供帰りを起こしても当然の状況です。
このお子さんは本来なら一番甘えたいお母さんの行方が分からず
妹さんもあの日以来一緒に遊ぶ事も出来ずに
周りの大人の会話の中から、段々と「死」と言うものが何かを
感じ取りだしているようでした。
そんな不安を一身に込めて耐えているのに
その上、お父さんはどうしても仕事に出なくてはならない状況では
夜中にフラッシュバックに襲われ泣き出してしまうのも
この環境ではしょうがないほどの悲しい現実でした。
状況をお父さんと話し合い、
夜も一緒にいて貰えるご家族と連絡してもらえるようにお願いして
二日後にお父さんのお姉さん(叔母さんに当たる方ですね)が
迎えに来て下さることになりました。
それまで彼女が寝付くまでは私と一緒にいる事を許可してもらって
夕食が済んだら私の傍へ来て一緒にお話ししたり
何人かのお子さんたちと一緒に漢字や算数のドリルをしていました。
少し心が落ち着いたのか、彼女の方から色々話してくれて
私に甘える仕草も垣間見られて来た時でした。
「おねえちゃんは犬好き?」
唐突にそう聞かれました。
私がランディと生活していることを話すと
すっごくランディの話を聞きたがり、写真を見たいと言い出しました。
その時写真もなかったので今度来る時見せてあげるねって
約束したら満面の笑みで「うん」って!!
○○ちゃんもワンちゃん好きなの?って聞いたら
「5年生になったらお母さんが犬飼っていいって言ったんだよ」
彼女が5年生になると妹さんが2年生になるんだそうです
それでお母さんも今は幼稚園への送迎などで大変だけど、
その頃になったらペットを飼っても良いって約束してくれたそうです。
そして 「スカイツリーって見たことある?」
どうして?って聞き返したら
従兄弟のお兄ちゃんが中学の修学旅行で
スカイツリー見てくるって言ったそうでした。
ただその「お兄ちゃん」も津波の後、
何処にいるのか分からないままだそうです。
言葉の端々に、今は連絡の取れない人との思い出が混ざります。
特にお母さんに対しては10時の消灯間際までずっと話してくれました。
一緒に歯磨きして寝る前のトイレも済ませて戻ったら
抱っこしていた私の腕を掴んだままウトウトして寝入ってしまいました。
その晩は夜鳴きもせずグッスリ眠れたようです。
それは周りで休んでいた近所の方たちも一緒ですね。
その翌日、お父さんが仕事から戻ると
夕方近くに叔母さんが迎えに来て避難所を後にしていきました。
避難所に一人でいるよりは落ち着ける環境になればいいのですが
彼女の心の傷を癒すのには長い時間がかかるような気がします。
お父さんはそのままこちらで仕事を続けなければならない為に
避難所に居を置いたまま、一日おきに戻られていました。
被災者でありながらも原発に関わる方の難しい一面でもあります。
彼女とも約束したので、
今回の派遣時にはこんな写真を持って行こうと思います。
隅田川からのスカイツリーとランディ
いつの日か彼女がご家族と一緒にこの風景を自分の目で見て欲しい。
そう願いながら、お父さんへ写真を託そうと思います。