2011年05月11日

心の片隅に。。。

GW一杯までの2週間、岩手から福島までいくつかの避難所等を周り、
被災者の方々の健康管理やPTSDなどのケアに当たってきました。

残念ながら東北一帯には元々PTSDに精通した専門医は
一人もいらっしゃらなかったこともあって
(この分野に精通した専門医は国内に20名ほどしかいないのですが)
必要に応じて関東や関西圏の専門病院と連絡して受診や搬送の
手続きなどの業務をこなしてきました。

福島では前回記事に書いた女の子へ渡す写真とメッセージを
そのお父さんへ託す事も出来ました。
お嬢さんはおばさんの家から転校先の小学校へ通っているそうです。
でも未だにお母さんと妹さんの行方は分かっておらず
お父さんもお仕事の関係で避難所を離れられず
お嬢さんは気丈にも顔では笑っていても、
お友達もいない新しい街の学校でツライ思いをしているのではと
不安の色を隠せない表情で話してくださいました。

ある風の強い日にお嬢さんが転校した先の学校で、
「風が強いから福島から放射能が飛んで来ないでくれ!」と
心無い言葉を浴びせられ泣いて帰ってきた事があったと
預かってくれているおばさんから連絡が有ったそうです。

子供はいじめと言う意識がなくともこうした言葉を発してしまいますね。
言われた側は心に深く傷のつく言葉になってしまう事に気づかずに。。


お父さんは悔しさとも悲しさとも思える口調で
「自分の所にさえ放射能が飛んでこなければ良いということか!?
子供が口にするんだから、周りの大人が日頃から言っているんだろう」
そうボソッと口にされました。

そして涙声で
「みんなで一緒になって頑張ろうとか地方の人が言うけれど
 結局はこうした自分が良ければそれで良いという人がいるんだな。
 口先だけの応援なら簡単だよな。
 罪のない子供にだけは人を信頼できる社会にして欲しいけれどな」

口先だけの応援なら簡単だよな。
この言葉がいまだに胸に重く残っています。

ふざけて出た言葉としても「自分さえよければ良い」と言う感性が
子供たちの心に生まれる事が無いと良いのですけれど・・・
例え周りの大人がそんな言葉を口にしていても
他人の痛みの分かる人間に育ってくれる事を望みたいですね。。。


いくつか回った避難所の一つでもあった岩手の被災地の男の子が
「あの日」を毎日小学生新聞に体験日記として寄せていました。
読まれた方もいるかも知れませんが
小学生でも大人でも関係なく、一瞬で人生を変えた「あの日」を
この男の子の視点で感じて頂ければと思い転載します。


そしてこの子と同じような悲しみを味わったお子さんたちが
今も同じ日本の中にいる事をどうか心の片隅に置いておいてください。
大人として心無い言葉を発することのないためにも。。。


 ◇3月11日

 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

 ◇3月18日

 津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

 ◇3月23日

 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。

 ◇3月25日

 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。

 ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

 ◇3月26~27日

 見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。

 ◇3月28日

 きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。

 ◇4月7日

 きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。
今日は本当にありがたい日だ



両親を失った震災孤児は既に130人を超え、
阪神大震災時を超えています。

そのうち既に身内や親族等に引き取られた子供たちは
おおよそ8割ほどだそうです。
そのほかの子供たちは児童養護施設などへの入所も検討され
住んでいた街を離れるだけでなく
友人知人とも隔絶された新しい道を歩まなければなりません。

避難所でご両親を亡くし兄弟二人だけで暮らしていた
高校生の男の子は弟の為に学校を辞める決意をされました。

高校の先生も何度か避難所に来ては慰留していましたが
彼は自分が働けば養護施設ではなく、弟と二人で暮らせるからと
住込みで弟の同居を許可してくれる働き口を先生と話合っていました。


一瞬にして子供たちの人生を変えてしまった出来事から
今日で二か月がたちました。

今被災地は大人も子供も全力で必死に耐えて
そして一日でも早く立ち上がろうとしています。

その力を砕くような
「福島から放射能が飛んでこなければいい」
「自分の所にさえ被害がなければいい」と言う考え方。

そんな考え方をする人がいない事を信じて・・・











nasubi83 at 11:31│Comments(10)TrackBack(0)ボランティア 

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この記事へのコメント

10. Posted by なすび   2011年05月17日 15:43
徒然さん、こんにちわ。

現地に行っていた私でさえ、その現状を把握できていないと思います。
その土地にどれだけの愛着が有り、原発にしても
諸悪の根源のように言われる方もいますが
現地ではその恩恵も多く、今回の事故で仕事を失う人も途方に暮れています。
政治に関しても原発推進していた地元議員が
掌を返すように与党批判に回ったりで
被災者は何を信じて良いのかさえ判断しかねる状況でした。

世論や報道に流されず、自分の意見として
この惨事をどう受け止め、どう後世に伝えていくか
それが大事な事のように感じます。
9. Posted by なすび   2011年05月17日 15:34
wiredさん、こんにちわ。

現地は皆どうしようもなくとも現実を受け留め
元へ戻そうと毎日を過ごしています。
津波に全てを流され、家族をも喪った人々も
原発の二次災害で故郷を後にする人も
皆その現実を否応なしに受容れても前を向いています。

現地では、その現実を理解せず(出来ず)に
原発が怖い(悪い)とか皆で頑張れば乗り越えられるなど
安易に言われることに絶望感を抱いています。

一番恐れているのは、分からないままに
福島や東北を「かわいそうな人たち」とか「危険地域」などと
間違った認識を持たれることだとほとんどの人が口にします。
被災者になるのは日本国中明日は我が身と言う事も
皆が認識しておかなくてはいけない事ですものね!
8. Posted by なすび   2011年05月17日 15:19
アキラさん、こんにちわ。

>国民が一致団結し大きな人間の絆を信じて目標を定めたいですね。

その為に、先ずアキラさんは国民のひとりとして
どんな行動をされますか?

7. Posted by なすび   2011年05月17日 15:16
ばあばさん、こんにちわ。

逆境は時として人間を大きく育てますね。
この少年に限らず、避難所の弟思いの高校生も
今のままでは弟と別々の養護施設に入らなければならない事を理解した上で
高校を中退しても弟と一緒にいる道を選びました。
家族を一瞬にして失った上に兄弟も離れ離れになっては
幼い弟が可哀そうとの判断だったと聞いています。
ハイチの時もそうでしたが
こう言う頼もしいお子さんがいるのですから
いつの日かきっと笑顔になれる日が復興した町に訪れるでしょうね。
6. Posted by なすび   2011年05月17日 15:10
大野さん、こんにちわ。

起こってしまった現実は変えようが有りません。
だからこそ、無事でいる私たちは後世に生かせるよう
この事実をありのままに理解して伝えなければと思います。

この男の子がいつの日か自分の子供や孫に
あの日を教訓として笑いながら話せる日が来るよう
大人として社会全体でサポートしたいですね。
5. Posted by 徒然   2011年05月16日 15:17
恥ずかしながら私も被災地の現状をきちんと把握できていない一人なのだと感じます。
ただ、テレビを見ていて「頑張って!!」とは被災地の方々に言ってはいけないと言うか簡単に使ってほしくない言葉だと感じます。
4. Posted by wired   2011年05月13日 00:12
女の子に写真渡せてよかったですね
元気に学校行って、いっぱい幸せになって欲しい
女の子のお父さんが言っていた、口先だけの人、僕もそうかもしれない、でも被災された方が少しでも幸せになればと言う気持ちだけは本当です
男の子の日記、少し前に見ました、男の子の素直な気持ちが伝わってきて読むのが辛くてでも最後におとうさんはやっぱりすごいと言う言葉に感動しました
強く生きて欲しい

3. Posted by shinobueakira   2011年05月12日 07:45
3.11から既に2カ月が経過したと言うのに今回の大地震は津波と原発の問題が同時に発生しているので復興までの道のりは厳しいと思います。
2ヶ月経っても避難所で暮らしている方々がいるなんて、チェルノブイリの原発事故よりも傷は深いかもしれませんね。
季節は寒かった季節から、熱い季節へ変化しています、救援物資も冬物では役に立たなくなっているでしょう。
これからは夏物の物資も必要でしょう。
被災者の皆さんはの復興への闘いは今始まったばかりです。
長い闘いになると思いますが、国難ですから国民が一致団結し大きな人間の絆を信じて目標を定めたいですね。
毎回の事ですが、お仕事お疲れさまでした!
我々には見えない被災地の現状が色々あるんですね!!
2. Posted by Happyばあば   2011年05月12日 05:54
なすびさんおかえりなさい。

この男の子に話はTVでも見たような気がします。
腕に時計が輝いていました。
この年でこれだけのことが考えられ、
こんな頼もしい男性にしてくれるなんて
これも未曾有の災害を経験したからに他ならないでしょうね。
しっかり親兄妹を支えていってくれることと思います。
どんなにこちらで心配し憂えても、当事者の方々のお気持ちをどれだけわかってさし上げられているのか・・・
軽率な行動や言動はくれぐれもつつしまなければ・・とあらためて気を引き締めています。
1. Posted by 愛媛の大野です   2011年05月11日 22:16
男の子の日記が
せつないですね
口先だけの応援
という言葉もそうですが
今回の出来事の実情を
もっと知っておかなければいけない
と思いました

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