徒然に

2012年04月24日

希望の桜!

被災地:福島県富岡町立第二中学校 東側桜並木のトンネルです

富岡第二中学校東側桜並木トンネル

見事なまでの桜並木!
なのにお花見をされる人の姿は見受けられません。

気付けば下の写真のような、防護服を纏った関係者のみが
この桜の下で作業をされています。

0419tunnel01

ここは震災当初の医療支援でもお世話になった街の一つです。
原発事故以来、地元の人も避難したまま戻れない
全域が警戒区域の無人の町。。。


0420kijyun

町の桜開花の基準木にもなってるというソメイヨシノの古木。

誰にも見られることがなくとも、春の訪れを例年のごとく察知して
見事なまでのこの美しさを見せてくれました。

誰に見てもらうわけでもなく、それでも確りと自己主張するかの如く
こうして満開で春の訪れを告げてくれているようです。

どんな環境下でもこうして見せてくれた桜の切ないまでの美しさ!

写真でしかありませんが、どうかみなさんも見て愛でて楽しんで
そしていつの日かこの桜の如く、
故郷に戻った人々の歓声に包まれる事を思い浮かべて見てください。
それは希望に繋がるはず。

この街は原発事故当初の風向きなどから
比較的放射線量での規制は早めに解除されるのではないかと
そういった期待が持たれる場所でも有るのですが
未だ明日の事さえ知り得ない不透明な現実に置かれています。

この地に似た環境下でも、あの地震の揺れにより
大きく斜面を地滑りし数十メートルも滑落した桜の木からも
この春、誰に見られることもなく
満開の美しい花を咲かせてくれたところもあります。


どんな地でも自然の営みはこの国にある「四季」といった宝物に
文字通り花を添えてくれています。

花を愛で季節の移り変わりに心躍らせ、復興への希望を持つ気持ちは
例え意見の相違や感情の行き違いがあっても
必ずや乗り越えられるものだと信じます。
何故ならこの国に何百年・年千年と繰り返してきた季節の移ろいを
私たちは心の底から楽しみそして「和」を大切にする
そう言った国民性を備え持ってているのですから。。。

誰に見られることなくも、健気にも今年の春を告げてくれた富岡の桜。

どうか皆さん心の片隅にでもこの美しさを残してみてください。
そして、いつの日か本当に皆さんと、
私へコメントくださった全てのみなさんと
そして地元の被災者のみんなと一緒に
この桜の下でお花見をしたいと願います。

意見の行き違いも全て誰かを想う気持ちからの
ほんの僅かなボタンの掛け違いのはず。
その小さな掛け違いはこの桜の美しさ・健気さからしたら
微かな事でしかないでしょう。

この桜から大切なそして大きな力を頂いています。




この場所は上記のとおり警戒区域内ですので
この写真は転載したものです。

私の写真ではありませんが、この桜をみなさんに見ていただきたく
そして警戒区域とはいえ、この桜のように日々を滞ることなく
前へ前へ進もうとする希望や力を被災者は強く持って過ごしています。

私もその一躍を担えるよう微力を投じて行きたいと思います。













nasubi83 at 19:11|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2012年04月22日

前を向いて。。。

今年になってからでも何人の出生に立会い
そして何人の方々をお見送りした事でしょう。。。

被災地を中心に活動する時間が長かった分
震災によると思われる体調悪化から
重篤な状態への患者さんも多かったです。

折角あの恐怖の揺れから身を守り、
続いて襲ってくる経験したことのない程の津波。
その悲惨な時間を何とか掻い潜り、見ず知らずの他人とも助け合って
やっと本当にやっとと言う思いでつなぎとめた命だったのに。。。

反面、震災後にご懐妊され避難所とはいかずとも
自分のふるさと近くでの出産を望まれる妊婦さんも多く
毎日の放射線量を気にされながらも
診療所までの道のりを健診に通ってこられた新米ママたち。
そんな明るい話題も有りました。

ただ元気な赤ちゃんを授かったお母さん方の中にも
あの恐怖のフラッシュバックや地域間の認識不足からの風評などから
育児の不安も増して産後欝を発症する割合が
被災しなかった地域に比べて高く
それぞれの方々の心のなかには今だ複雑な思いがいっぱいです。

みなさん本当にやっと助かった命なのに
余震の恐怖や未知の放射線の恐怖、そして避難を余儀なくされ
生まれ育った故郷との別れ。。。
新天地での心無い人々の言葉による差別や
勝手な思い込みから浴びせられる阻害感に直面しての精神的重圧。
そういう中での持病の急速な悪化も悲しい現実でした。

極悪施設のように言われる原発施設へも事態の悪化を防ぐため
震災当初より毎日避難所や仮設住宅から通う地元の人々。。
日本中から批難される施設であり、危険な地域である原発へ
毎日毎日大切な息子を、夫を、父親を送り出し見守るしかないご家族。
送り出したあとに祈り続けるおばあちゃんや小さな子供たち。
まだ避難所にいたひとりの女の子は、原発へ通うお父さんについて
「お父さんは悪いことしているの?
   TVで皆がお父さんの会社が悪いって言ってる」
そういって泣き付いてきた時には
彼女を抱きしめた私まで一緒に涙していました。
この子の心の傷は生涯消し去ることはできない気もします。

命は本当に尊いものですね。
あれ程の災厄を受けた街でも、
徐々に徐々にこれからを見つめていらっしゃいます。
余震や放射能の恐怖は未だに消えることはありませんが
風評や差別は被災しなかった地域の方々の心持ち一つで
すぐにでも消し去る事ができるように思います。


先日春の園遊会へ行ってきました。
宮内庁から届いた招待状を受け取ったとき
正直私が出席して良いものかとかなり悩みました。
大学の上の人にも相談したり、
同じ分野で招待された先輩方の後押しもあり
赤坂御苑へ向かいましたが、そこでもやはり違和感を拭えません。
私は晴着を着てこうした晴れやかな場所へ出て
皇族方に拝謁しているその瞬間にも、
ハイチや東北の被災地では皆さんいつものように
復興への時間を過ごされていらっしゃるというのに。。。

そんな時、昭和天皇の時代の園遊会にも父の配偶者として同行し
今回私の同行者として二度目の参列となった母から一喝されました。

「被災した人は皆胸を張って前を向いてるはずでしょう。
 貴女はこれで支援が終わったとでも思っているの?
 まだまだこれから何度でもどんな悲惨な被災地へも行きなさい。
 そしてみんなが笑顔になる様に働きなさい、
 パパもそう願っているはずだから!
 だから貴女も胸を張って今を生きなさい」

私には大きなアドバスでした。
あの父にしてこの母ありです。。

みんな前を向いて生きているんですものね!
意見の違いは理解できることも出来ないことも有るかも知れません。
確かに生きていく上で唖然呆然とする行為に出会うこともあるでしょう
そしてお互いに笑顔になれる程の共感を得ることもあるでしょう。
それが生きている証でもあるように思います。

風評で人を傷つけたり、自分の善意をひけらかすことは
やはり控えるべきだと思います。
ニュースの本質を自分の言葉に置き換えられずに受け売りするのも
時として人を苦しめることになりかねません。
それでも差し出す手は引いてはいけないようにも思います。

そして皆さんから私にいただいたコメントやメールそしてFBでも、
一つ一つが全て私への励ましや思いやりだと信じ受け止めています。
本当にありがたく読ませていただきました。

意見の相違は何かを生み出す大きな切欠になるはず
だから非難ではなく,
なぜそういう考えを出すのかを問う事が
前を向いて行くために必要な気もします。

皆様から頂いた本当に優しい心のこもったメッセージに
励まされ助けられ、そして前を向く力をいただいています。
本当にありがとうございました。

失礼ながらこの記事を皆様から頂いたメッセージへの
返信とさせていただければと願います。



園遊会が催された赤坂御苑
園遊会が催された赤坂御苑


招待客へのお土産は菊のご紋入り“どらやき”
招待客へのお土産は菊のご紋入り“どらやき”
父の時にはやはりご紋入りの日本酒だったそうです。
皇室から配られる物はやはり失せ物なのでしょうね。





nasubi83 at 02:58|PermalinkComments(8)TrackBack(0)

2012年04月07日

笑顔の裏側に。。。

年度末まで被災地の医療支援に携わってきました。

仮設を回ったり、僻地医療の支援をしたりしていると
自然と被災住民の方々とも顔なじみになり
何度目かの訪問の頃からか、
皆さんから声をかけていただけるようになりました。

なかには「看護師さん」ではなく、私の名前で呼んで頂ける方も
いらっしゃって直接の病気の質問だけではなく、
少しづつですが今後の不安や家族の将来などについて
心の奥底に溜まっていた他人に話せない程のお気持ちを
吐露していただけるようになりました。

それは精神衛生上本当に良いことなのですが
そのお話のなかには聞いているだけでも涙がでてしまうほどの
お辛い気持ちも伝わってきて、私まで砕けそうになる事もシバシバ。。。
まだまだ未熟なのは分かっていますが、
一緒に涙することもここでは必要だったようにも思います。

そして感じたいくつかのことは、
誰よりも辛い境遇であるはずの震災孤児になってしまった
中高生の子供たちの多くがいつも笑顔でいてくれること!
これには支援に行った私の方が何度となく励まされてしまいました。

その笑顔の秘密をそれとなく尋ねると
多くのお子さんたちが同じようにこう答えてくれました。

「いつまで泣いても始まらないし、
 死んだお父さんやお母さんが見守ってくれるから
 私が泣いてたら天国でも心配でゆっくり出来ないでしょう?」

そう言って唇を噛み締めながら笑顔になってくれました。


そんな強さを持った笑顔を見せてくれた一人の男の子。
両親が津波に流され兄妹だけが残った中学3年生だったお兄ちゃんは
高校進学を一旦諦め、先ずは今春中学校に進学する妹さんと一緒に
新聞配送所へ住み込みでの就職を決めました。

そこのご主人夫妻が診療所へ来ていた事もあって
双方とも私と顔見知りだったので
お兄ちゃんの中学卒業、そして妹さんの小学校卒業のお祝いと
新聞配送所への就職のお祝いを兼ねて
新聞屋さんの二階で行われた祝賀会に誘ってくださいました。

そこで所長であるご主人が
「いわれもない風評被害もあって、
 こうした子供たちが悲しい思いをしているのだから
 我々大人が出来るだけの支援をして守ってあげないといけない。
 この子達は一旦他県に住む遠縁の親類のところで暮らしたけど
 そこの学校ではまるで寄付を受けた可哀想な子供たち
 という差別を受けたんだよ。

 親御さんが震災義援金を出したことや、震災孤児への基金へ
 お金を送ったと子供の前でも自慢気に言うんだろう。
 だからその子供達は自分の親のおかげで
 震災孤児が助けられてると思い込む。
 それが自然と学校でも言葉に出たんだろうけど、
 言われたこの子達は辛いだけだ。

 本来寄付は気持ちの問題だろう!
 自分がした寄付を「いくら寄付した」とか人に話す問題なのか?
 寄付をしてくれる気持ちは本当に嬉しいけど、
 立場が変わればこっちだってしている。
 誠意を人にアピールするのは善意ではない気がしてならない。 

 それに原発事故以降、福島からの避難者というだけで
 「放射能がうつるから」なんて言われて
 右も左も分からない初めての土地で奇異な目で見られたことも有る。
 今ではある程度認識もあるからこういうことは減ったろうけど
 事故直後にこうした風評を意識しない騒ぎがあったことも事実。

 せっかく助かった命なのに、こうした言われなき辛さを与えたのも、
 心無い大人たちの勝手な思い込みからの言動なんだから
 大人の責任として皆でこうして親を失った子供たちを
 見守って行くのがせめてもの訃ぐないだからな」
そう私に呟かれました。

そう言われた所長さん自身も、ご自宅を津波で流され
お父様は未だに行方不明のままと言う
震災被災者のお一人なのですが。。。


春の便りがあちこちから届きだし、
お花見など心も浮かれる季節が訪れましたが
心無い軽率な発言や行動にだけは気を付けたいと
改めさせられる思いでした。

彼らの笑顔の裏側には、辛さをかみしめた
今は亡き大切な人への思いがいっぱいに詰まっていることを
忘れないであげてくださいね。








nasubi83 at 11:58|PermalinkComments(10)TrackBack(0)

2011年12月07日

憎みあっても何も生まれないから。。。




So this is Xmas                   
And what have you done
Another year over
A new one just begun
And so this is Xmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Xmas
For weak and for strong
The rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight

A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas (War is Over)
And what have we done (if you want it )
Another year over (war is over )
And a new one just begun ( now )
And so this is Christmas (War is Over)
And we hope you have fun (if you want it )
The near and the dear ones (war is over )
The old and the young ( now )

A very merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

War is over, if you want it
War is over now


もうすぐクリスマスだね!
あなたにはどんな一年だった?
もうすぐこの一年も終わり
また新しい年が始まるよ
そうだからクリスマス
素敵な一日をね!
愛するあの人に
そしてすべての人に
心を込めてメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね
恐れも何もない。。

そうだからクリスマス
落ち込んでいる人 気丈な人
お金持ち 貧しい人
世の中は変だよね!
でもハッピークリスマス
黒くても白くても
黄色でも赤くても・・・
もう争いはやめよう

みんなへメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね!
不安も何もなく

さあもうすぐクリスマスだよ (戦争は)
あなたとってどんな一年だった? (終わるさ)
強烈なこの一年も間も無く終わり (君が)
またもっと素敵な新しい年が始まるさ (望めば)
そうだからクリスマス (対立は)
素敵な一日をね!  (終わるさ)
愛するあの人に (みんなが)
そしてすべての人に (望めば)

心からメリークリスマス
そしてハッピーニューイヤー
いい日になればいいね!
余震や放射能汚染の恐れも病気の恐怖も何もなく。。。

争いは 終わるさ
みんなが望めば
今すぐ 終わるさ 必ず。。。




壊滅的な国難を受けたこの年も残すところ半月あまりですね。
色々な方々が辛い思いや悲しい別れ、
見えぬ危機との不安な日々を過ごし
まだ先の展望も見いだせないでいる辛い日常は今も同じ。。

考え方の行き違いなどから起こる不快感や嫌悪感。
辛い言葉を浴びせられたり、浴びせている事に気付かなかったり。。。

でもそれも含めて今を生きているんですよね!?

もう憎しみ合うのはやめましょう。
そう願い合えればこの感情の行き違いも終わるはず。
そう信じて前をむいていきたいと思います。

折角あの震災を生き残った命なのですから。。。

War is over, if you want it
War is over now









nasubi83 at 15:21|PermalinkComments(18)TrackBack(0)

2011年11月11日

愛の兆し

あれから8ヶ月。。。

そんな日に市民運動が行政を動かし出した
そんな暖かい記事に触れました。

静岡では東京都についで
県単位での「ガレキ」の受入を表明したとか・・

それも行政から名乗り出たのではなく、
市民運動の中から受入を自分たちの手で
市町村へ要望して実現された稀な例のようです。

静岡には浜岡原発が有るために
市民感情もガレキ受け入れには敏感で
当初は放射能汚染物を県内に持ち込むなど許されない
そんな雰囲気だったそうで行政も積極的には動かなかったようです。

そんな中から市民の手で、
「反原発を訴えるだけでなく今は痛みを分かち合って復興を目指そう」
と、自然発生的に同じ原発保有地の
福島の苦悩に手を差し伸べたようです。

同じ痛みを分かち合い、
不平や不満を政府のせいと文句を言っていた時期から
前をむいて皆でどうやって反原発のために動けるか
そう考えた際に、先ずは復興の助力のために
ガレキの処理のお手伝いと受入を市民レベルで
行政に掛け合って実現されたそうでした。

もちろん厳格な安全基準を確認した上での
受入れになるのは当然でしょうが、
その基準作りにも「反原発」を謳っていた人たちが関わり
政府や原発批判のパワーを
復興への力に置き換えて実現されたそうでした。

市民の一歩一歩の小さな力からでも、こうして徐々にでも復興へ
そして国がひとつになって立ち直っていく初動を起こしたのですね!

辛くとも生きていくためには一人じゃないと
そう信じられる事が一番大切に感じます。

同じ原発立県というだけでなく、
市民の心の優しさと大人の対応に災害救援に携わったものとして、
感謝の気持ちで一杯になった8ヶ月目です。
そして少し救われた気分になった、そんな一日になりました。





nasubi83 at 22:55|PermalinkComments(8)TrackBack(0)

2011年11月03日

恩讐の彼方へ ~生きるために・元気になるために・・・


          北山修

人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
そこにはただ
が 吹いているだけ
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ振りかえる

プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ 風が吹いているだけ
振りかえらず ただ一人 一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ 風が吹いているだけ
吹いているだけ
吹いているだけ




青葉城恋唄
                               星間船一

広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない

七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない

青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹かげこぼれる灯に ぬれていた君の頬
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない

時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない





nasubi83 at 18:59|PermalinkComments(6)TrackBack(0)

2011年10月31日

忘れてはいけないこと

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=MVKWtxXtZ3E#t=47s

海外メディアが報じた震災直後のニュース画像を編集された
生々しい映像が収録されています。
その中にはショッキングなものも多数含まれています。

お子様や妊産婦の方、ご病気が気になる方
そして精神的に落ち込んでいる状態の時などは
ご覧になられないようお願いします。

ご遺体への尊厳などに対し意見も分かれる事でしょうが
これが震災被害の現実なのです。。。
そして私たち救援隊がどこの災害現場でも
真っ先に目にせざるを得ない光景でもあります。

そして被災者は老若男女問わず、
このような悲惨な現実を目の当たりにされ
辛く悲しい思いを突如として胸の中へ打ち込まれてしまうのです。

この映像をUpされた方も仰っていますが
今、この中から必死に復興を目指している方々がいらっしゃる事を
どうか忘れないでいてください。

軽々に安易な励ましや自分勝手な思い込みの言葉ではなく
もう一度考えてみてください。

今ご自分自身が、そしてご家族が、友人が。。。
この瞬間を同時に過ごせている、その幸せを!

被災者の事を考えられずに、
自分の浅はかな思い込みや、うかれムードからなのか
失言を重ねる大臣がいるこの国でも
人を思いやる心は生きているはずです。

政府や原発批判を口にする事で
自分が正義を謳っていると勘違いする人もいます。
でも批判するのは安易で、そして悲しいほど無責任な行為です。

批判する以上その対案が、
そしてその為にどう行動するかを補足して欲しいと願います。
批判を口にするだけでは何も進まないことに気づいて
復興の助力として、ひとりひとりが何ができるかを、
何をするべきかを、もう一度考えて貰えたなら。。。

行動や実践ではなくとも、せめて被災者の境遇や現実を理解され
心無い言葉で傷つける事の無いよう
自分の言動や書き込みを心がけるだけでも優しさは伝わるはずです。

恐ろしいのは失言を失言と気づかずに口にすること。
寄付をしたから一言口を出す権利があると思われること。
そしてあの悲惨な現実を忘却してしまうこと。。。

時が行けば自分の生活圏での日常に彼の地のことは
いつしかテレビ画面の向こう側のものとなってしまうでしょう。。

代々暮らし伝わって来た故郷を失った被災者が
どんな気持ちでこれからも被災した土地で暮らし、
復興を目指して行くのかを、
自身の立場や住み慣れた土地へ置き換えて考えられたなら、
そのコメントを被災者がどう受け止めるかわかるはず。

決して被災者の心理状態の悪いタイミングに
発したからではないと言うことにも。。。

それだけ故郷を、現実の生活を、大事な人を
一瞬にして失った方々のトラウマが
悲しいほど大きい事に気づいて頂けるはずです。

そしてこの災いは、次の瞬間にも自分自身の身へ
降り掛かって来るやも知れない恐怖でもあるのですから・・・


自分に言い訳をすることだけはしないよう。。。
私はその言葉を胸に、被災地にエールを送れるよう、
できうる範囲での仕事をしていくだけでしかありません。








nasubi83 at 23:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年12月08日

10の7乗

先日ノーベル賞受賞記念講演が有った事はブログに書きましたが
その講演を拝聴された講師の方から素敵なお話を伺いました。

現在迄にノーベル賞を受賞された総数を今の人口で割ると
およそ一千万人に一人の割合なのだそうです。

10,000,000人に一人と記してみると
とてつもない数字に見えますね!

この数字を見ただけで、「私には関係ないもの」と感じてしまいます

普通に考えれば、どんな研究を成し遂げても
それが応用され社会寄与される可能性は数%程度。

ましてその中でも特に有効性の高い研究成果を上げて
この賞の受賞対象になるには上記のような割合になります。

つまり一般的に考えると自分の研究がノーベル賞に繋がるほどの
人類のための偉大な発見の可能性は小さい…と思ってしまいます。


そんな若手研究者や学生に発想の転換を促すようにと
根岸教授がおっしゃった言葉が
「一千万分の一」と考えるのではなく
「10人の内の一人に選ばれる研究を7回行ってみる」と考えれば
肩の荷が下りて発想がラジカルになれる。


研究者である以上、新技術・新素材等の開発や現行方法の効率化
応用法などなどの新分野への飽くなきトライをしている訳ですから
時に壁にぶつかる事も多々あります。。。
これは研究者の端っこの方にいる私でさえ感じることです。。

そんなときに煮詰まった頭の中をふと落ち着かせて下さる
そんな一言に感じられました。

生涯に7回、10人の中から選ばれるような研究体験なら
何とか私でもできるかもしれないかな!?

そんな気分を落ち着けられる一言をお持ちになっていること自体
やはり偉大な賞を受賞される研究者の方なのですね!
授賞式は今週金曜日です。

因みに先端技術と向き合う以上、常に誰もやっていないことを
真面目に受止め人一倍の努力をしなければならないとも・・

だから研究者は常に一番を目指さなくては新たなものは見えてこない
そうやって初めて少しだけ新たなものが見えるチャンスに出会える。
つまり二位じゃダメなんです!

二位を目指すようなら初めから他の人に任せてしまいなさい。

この言葉、閣僚のあの方に聞いてもらいたいですね(笑)











nasubi83 at 02:33|PermalinkComments(10)TrackBack(0)

2010年11月18日

救命と移植


臓器移植法の改正後、ご本人の意思表示がなくても
脳死(心臓死)後の臓器提供をご家族の判断で行う事例が増えました。

うちの病院では改正後まだ脳死判定による
臓器摘出術及び移植術は行われていませんが、
どちらも行える指定病院になっています。

もし今日にもそう言った事例の患者さんが現れれば
移植コーディネーターと共に粛々と患者さんのご家族へ
説明に向かわなければならないのです。


先日移植医やスタッフの移植チームとの交流会がありました。
普段救命に勤しんでいる私たち救命チームとは
時に判断の異なることもあり、倫理観や哲学的側面も
深く話し合う時間を持てました。

既に何度も繰り返し繰り返しミーティングを開いて
統一マニュアルも出来上がっているのですが
現場での立場(視向)の違いによる考え方の僅かながらのズレ・・・

恐らくそのズレは埋まる事はなく、
事務的にマニュアルに沿って進められていくのでしょう。

学生だった頃、何度となく哲学の授業でも
こう言ったケースを取り上げてディベートしたことを思い出しました。

それで久しぶりに学生時代の教授に連絡すると
遊びに来いと仰って下さって、懐かしの学び舎へ出かけて来ました。


imagesCAQ02OXL_R

この門前の通りはランディの面会の際に何度も通ったのですが
中に入るのは何年ぶりでしょう!?

imagesCADFTBA4_R


ここは変わりないですねぇ。。。

c6706f2d65c2b1ba_R

よくお友達とお弁当を食べたベンチもそのままでした(笑)

imagesCALGM255_R


そして何度も実習に通った場所です。

大学2年まで、看護職に自分が就くなんて思ってもいなかったので
入学した頃、ここは学生の健康診断に行く場所なんだと
その程度にしか思っていませんでした。

医療の現実や先輩方が研究者として活躍される場など
今回お会いした教授のお言葉も影響して
3年次の学部申請の際、今の職への一歩を踏み出しました。

ただ私が志した当時のクリティカルケアの指導教授が
本学にはいなかったので、同級生が大学院へ進む際に
私だけ私学の大学院を受験する事になって以来
何年ぶりの再訪でしょう!? 思い出の病院です。

この病院も移植術を行える指定病院ですので
今回の移植チームとの溝について、
現役でここに努めている同期生にそんな話題を振ってみました。

学生時代は皆他愛もない話で盛り上がっていたお友達ばかりなのに
こうして仕事をしている姿を見ると大人になったなぁと。。。

私の振った話が「面白いテーマなので」という事で、
学部の学生さんの授業に、この溝についてディベートさせてみたいと
授業テーマになってしまいました。

先輩や同級生もここでは既に講師や准教授ですから
一般の看護師さんへの指導はもちろん、
個々の研究課題として各テーマを持って
患者さんに接している姿は既に立派な研究者!


ただし、勤務後に久しぶりに昔通った居酒屋さんで飲んだ時は
過ぎ去った時間が嘘のように、学生時代と一緒の
他愛もない話で盛り上がるいつものお友達に戻っていました(-_-;)








nasubi83 at 12:27|PermalinkComments(6)TrackBack(0)

2010年11月13日

厳戒!? 横浜

各国首脳が一挙に押し寄せるのですから
警備が強化されるのは理解できます。
市民としてそれに協力する義務も心得ているつもりです・・・

ですが。。。

準夜勤務を終えて帰宅しようと病院を出たのが深夜1時前。
今日は処置中に私物の白衣が汚れてしまったので
持ち帰って洗濯しようと、消毒用エタノールをスプレーして
ビニール袋へ入れて持ち帰りました。

いつもの通いなれた道を歩いていると
路地からパトカーが出てきて、私の横を通り過ぎたかと思ったら
急にドアが開いて二人の警察官さんが下りてきました。

警官  「すみません、こんな時間にどこへ行くんですか?」

なすび 「仕事を終えて帰宅するところですが。。」

警官  「こんな時間迄どんな仕事してたんですか?」

なすび 「そこの○○大学病院の職員ですが。。」

警官  「○○病院、そんな病院近くにあるか?」
   そう言って二人で地図を確認しながら不審そうに私を見てます。
 
   ここでは大きな病院ですから警官が知らない方がオカシイ!!
   本物の警察官なのかとこっちが疑問に思ってパトカーを見たら
   デザインは一緒でも書いてあるのは 「岐阜県警察」

APEC警備の応援で日本国中の警察から人員や車両が来ていると
ニュースでは見ていましたが、岐阜県警の方から職質されるとは・・

病院があることは確認できたようですが
こんな時間に一人で歩いてるのは普通じゃないとでも
思ったのでしょうか?

警官  「身分証と手荷物を確認させてもらっていいですか?」

そういって私の職員カードの写真と顔を見比べながら
「手荷物からお酒の匂いがするけど飲んできましたか?」と。。。

なすび  「白衣を洗濯しようと持ち帰るところで
        雑菌の拡散を防ぐためにエタノールをスプレーしてます」

警官   「エタノールってなんですか?危険な薬品じゃないの?」

なすび  「一般的に使用する消毒用アルコールですが。。」

警官   「それで病院の匂いがするんだ!
             ・・・中略・・・
        遅い時間なので気を付けて帰ってください」

そんなやり取りがあって、またパトカーに乗って走り去っていきました。

応援に来ている以上、その町の地理に疎くては
パトロールにならないのではないでしょうか!?

緊急に「どこどこで人が暴れてるから応援に来てほしい」と
指令所から指示が出ても最短でそこへ行けるのかしら!?

思わず最後に、
私よりお巡りさんの方が無事に本部に戻れるのか?

そっちを心配してしまいました(笑)






nasubi83 at 02:11|PermalinkComments(8)TrackBack(0)
最新コメント
QRコード
QRコード