素敵な出会い
2007年11月02日
大事なのは・・・
お天気が愚図ついて気持ちも晴れにくい日でしたが
今日の搬送は又バックグランドの深いものになってしまいました。
患者さんは40代女性、専業主婦の方でした。
睡眠導入剤の大量服薬とリストカットによる意識混濁。
発見時に確認された脈拍も、到着時には貧脈になり
かなり危険な状態でした。
数日前に親子心中を図り救命された患者さんがいらした事を書いて
色々考えさせられましたが、今回はお母さんが子供たちを
「兎に角元気に育って欲しい」と言う
メモを残されての服薬だったようでした。
リストカットの傷は比較的浅く、処置にて傷も修復でき
出血量も少なかったのですが、服薬の量が多くチョッと心配です。
救急車に同乗して来たご主人からは、
自殺のそぶりも感じなかったという話でしたが。。。
その後駆けつけたご主人のご両親からは何と無く原因の分かる
そんな内容のお話が伺えました。
しかも一緒に着かれたお子さん二人には脳障害があり
その対応を巡って何度もいい争いが有ったそうです。
2世帯住宅の同居で、親子でお店(スーパー)を営まれてるそうですが
どうもお姑さんたちには「自閉症」と言う病気を受け入れる事が出来ず
しかも生まれた二人が二人とも自閉症を発症されたことに
嫁としての責任を果たして無いとまで言われていたようです。
嫁は家業を手伝い、跡取りを生んで立派に育てる・・・
そんな思いがこのお姑さん達には詰まっているようです。
その事を病状説明の際にDr.や私に
「まともな子供も産めないで、挙句にこんな騒ぎを起して・・」とまで
発せられていましたから、これでは患者さんが肉体的に回復されても
直ぐ元の場所への退院とは行かないように感じます。
この辺のやり取りから、患者さんの回復にあわせ
ご主人と伴に精神科のカウンセリングもオーダーされるでしょう。
壁になってお子さん達の病気のことなどを受け止めて頂かなければ
ならないのは、奥様(患者さん)だけではないのですから。。。
肉体的ケアの後にも、ご家族を含め精神的ケアを持続しないと
最終的に最大の被害者になってしまうのは、
自閉症の二人のお子さんなのですから・・・。
今日の搬送は又バックグランドの深いものになってしまいました。
患者さんは40代女性、専業主婦の方でした。
睡眠導入剤の大量服薬とリストカットによる意識混濁。
発見時に確認された脈拍も、到着時には貧脈になり
かなり危険な状態でした。
数日前に親子心中を図り救命された患者さんがいらした事を書いて
色々考えさせられましたが、今回はお母さんが子供たちを
「兎に角元気に育って欲しい」と言う
メモを残されての服薬だったようでした。
リストカットの傷は比較的浅く、処置にて傷も修復でき
出血量も少なかったのですが、服薬の量が多くチョッと心配です。
救急車に同乗して来たご主人からは、
自殺のそぶりも感じなかったという話でしたが。。。
その後駆けつけたご主人のご両親からは何と無く原因の分かる
そんな内容のお話が伺えました。
しかも一緒に着かれたお子さん二人には脳障害があり
その対応を巡って何度もいい争いが有ったそうです。
2世帯住宅の同居で、親子でお店(スーパー)を営まれてるそうですが
どうもお姑さんたちには「自閉症」と言う病気を受け入れる事が出来ず
しかも生まれた二人が二人とも自閉症を発症されたことに
嫁としての責任を果たして無いとまで言われていたようです。
嫁は家業を手伝い、跡取りを生んで立派に育てる・・・
そんな思いがこのお姑さん達には詰まっているようです。
その事を病状説明の際にDr.や私に
「まともな子供も産めないで、挙句にこんな騒ぎを起して・・」とまで
発せられていましたから、これでは患者さんが肉体的に回復されても
直ぐ元の場所への退院とは行かないように感じます。
この辺のやり取りから、患者さんの回復にあわせ
ご主人と伴に精神科のカウンセリングもオーダーされるでしょう。
壁になってお子さん達の病気のことなどを受け止めて頂かなければ
ならないのは、奥様(患者さん)だけではないのですから。。。
肉体的ケアの後にも、ご家族を含め精神的ケアを持続しないと
最終的に最大の被害者になってしまうのは、
自閉症の二人のお子さんなのですから・・・。
2007年09月14日
ありがとう、でも生きたい
近くの病院からの救急要請が有りました。
その病院で入院加療中の患者さんの状態が悪化し
こちらへ移したいとの事で、救急車での搬送です。
患者さんは40代前半の男性。
長距離トラックの運転手さんで、
ご家族は熊本県にお住まいとの事でした。
昨日深夜(今朝方)交通外傷で腹部損傷を負いその病院へ搬送
入院加療しながら、ご家族の到着を待っていたそうでしたが
到着を前に様態が急変され、こちらへ転院となりました。
到着時にはご家族の上京を心配されるほどでしたが
状態は良くなく直ぐ開腹Opeに成りました。
Ope室に入る前、かすれる声でこちらに不案内なご家族が
間違って最初の病院へ行かないか、持ってきて欲しいものを
忘れずに持ってきてくれるかなど心配され、私にももう一度
奥様へ電話して間違わないよう伝えて欲しいと頼まれました。
ただ熊本を出られたところまでは確認できたのですが
留守を預かるお爺さんは飛行機で行ったか列車なのか、
もしかしたらバスかもしれないと、詳しい事が分からず
携帯も持たれて無いそうで、こちらからの連絡のしようが無く
最初の病院へ着かれるのを待つしかありません。
腹腔からの出血が止まず、持病の肝硬変と糖尿病もあり
手術で損傷部位を修復したからと言って、
直ぐに安心できるには程遠く、心配な状況です。
術後麻酔から覚醒した後に、おぼろながらボソボソと
「知らない土地で大きな病院に入れてよかった、ありがとう!
酒の飲み過ぎで肝臓悪くして、女房に怒られてるけど
子供にも会いたい、俺はまだ生きたいんだ!」
そう私に呟かれました。
肝臓・すい臓など事故以前からの慢性疾患で
可也状態が悪い所へ、今回の事故での手術が重なり
どの程度の回復が見込めるか心配な状況です。
術後処置をしながら、気弱になった患者さんを励ましながら
ここまで悪くなる前に、お酒を控えるか治療を受けるか
どちらか一方だけでもして頂けていたら
こんな怪我で大事に至ることも無かったでしょうに。。。
自業自得と言う言葉で済ますには辛すぎる患者さんです。
せめて奥様やお子様たちのお顔を見るまで、
絶対に頑張ってもらわなきゃ!
奥様がこちらに着かれて、そのお顔を見ることが
この患者さんの一番の特効薬になって欲しい
そう祈りながら帰ってきました。。。
その病院で入院加療中の患者さんの状態が悪化し
こちらへ移したいとの事で、救急車での搬送です。
患者さんは40代前半の男性。
長距離トラックの運転手さんで、
ご家族は熊本県にお住まいとの事でした。
昨日深夜(今朝方)交通外傷で腹部損傷を負いその病院へ搬送
入院加療しながら、ご家族の到着を待っていたそうでしたが
到着を前に様態が急変され、こちらへ転院となりました。
到着時にはご家族の上京を心配されるほどでしたが
状態は良くなく直ぐ開腹Opeに成りました。
Ope室に入る前、かすれる声でこちらに不案内なご家族が
間違って最初の病院へ行かないか、持ってきて欲しいものを
忘れずに持ってきてくれるかなど心配され、私にももう一度
奥様へ電話して間違わないよう伝えて欲しいと頼まれました。
ただ熊本を出られたところまでは確認できたのですが
留守を預かるお爺さんは飛行機で行ったか列車なのか、
もしかしたらバスかもしれないと、詳しい事が分からず
携帯も持たれて無いそうで、こちらからの連絡のしようが無く
最初の病院へ着かれるのを待つしかありません。
腹腔からの出血が止まず、持病の肝硬変と糖尿病もあり
手術で損傷部位を修復したからと言って、
直ぐに安心できるには程遠く、心配な状況です。
術後麻酔から覚醒した後に、おぼろながらボソボソと
「知らない土地で大きな病院に入れてよかった、ありがとう!
酒の飲み過ぎで肝臓悪くして、女房に怒られてるけど
子供にも会いたい、俺はまだ生きたいんだ!」
そう私に呟かれました。
肝臓・すい臓など事故以前からの慢性疾患で
可也状態が悪い所へ、今回の事故での手術が重なり
どの程度の回復が見込めるか心配な状況です。
術後処置をしながら、気弱になった患者さんを励ましながら
ここまで悪くなる前に、お酒を控えるか治療を受けるか
どちらか一方だけでもして頂けていたら
こんな怪我で大事に至ることも無かったでしょうに。。。
自業自得と言う言葉で済ますには辛すぎる患者さんです。
せめて奥様やお子様たちのお顔を見るまで、
絶対に頑張ってもらわなきゃ!
奥様がこちらに着かれて、そのお顔を見ることが
この患者さんの一番の特効薬になって欲しい
そう祈りながら帰ってきました。。。
2007年08月13日
彼氏の影響って凄い!
お友達に誘われてプールへ行って来ました。
このお友達は、覚えてる方もいらっしゃるかもしれませんが
バレンタインの日以来、プライベートでも
お付き合いさせていただいてるカップルのお二人です!
以前自分にトライする心算で、彼女のミニスカートを
選ぶのに誘われてから、何度か相談事のような
メールのやり取りをしていたのですが、
自分の足を出す事に違和感がなくなり、ドンドン他の事へも
挑戦したい気持ちが高まったそうで今度は水着にトライです。
彼女の自己改革は目覚しくて、本当に驚くほどです。
水着は高校の体育の授業で着たのが最後だったそうで
こう言った遊園地のプールなど、一度も行った事が無く、
先ずは水着選びから・・・。
ミニスカートを選びに行った時は、オドオドされてたのが
印象的でしたが、今回は自分から可愛らしいのを選んでました。
そこで派手目なのを選んで
「可愛い水着だから、これなすびさん代わりに着てよ」って
持ってきたり。。。
でもそれはチョッと私には着こなせませんよぉ?(>o<;
結局お付き合いで私のも選んでもらって、
一緒に試着したり、彼女の楽しそうな笑顔を見て来れました。
これも彼への思いからなのでしょうね!
最初は水着選びだけの約束だったのですが、
いざプールへとなったらチョッと心配(不安)になったそうで
翌日のプールデートに付き合わされる羽目に・・・。
結局その場から彼氏へ連絡して、私が同行する事を伝え
彼氏に振られて、今は独り者の私を儚んでくれたのか
彼が職場の同僚を連れてくる事になり4人でのプールでした。
彼の手・指の傷もすっかり癒えていて一安心でしたよ。
リハビリは続けてるそうですが、もう心配ないでしょう。
彼女の本音は更衣室で一人になるのがイヤだったようです。
更衣室の女性だけの中とは言え、一人で足を出すのには
未だ抵抗があるようで、そこに私にいて欲しかったようです。
普段は彼氏がそばにいてくれるけど更衣室はネェ。。。
私が気付かないうちに後から撮られたこの写真は
チョッと恥ずかしいのでぼかしていますが
写真の水着は彼女が選んでくれたんですよ。
チョッと可愛いでしょう!?
彼女と一緒にプールサイドで撮った写真は
彼女にとってはじめての水着の写真だったそうです。
この数ヶ月間で、彼女の生活はガラット変わったようです。
本人曰く、彼氏が怪我をしたのはショックだったけど
それで自分の気持ちの方向性がハッキリしたので
丸っきり別の自分に会えたのだとか!
兎に角、彼氏との二人三脚で、
彼女の未来は明るく開けているようです。
それに引き換え、夏だというのに私は・・・。
このお友達は、覚えてる方もいらっしゃるかもしれませんが
バレンタインの日以来、プライベートでも
お付き合いさせていただいてるカップルのお二人です!
以前自分にトライする心算で、彼女のミニスカートを
選ぶのに誘われてから、何度か相談事のような
メールのやり取りをしていたのですが、
自分の足を出す事に違和感がなくなり、ドンドン他の事へも
挑戦したい気持ちが高まったそうで今度は水着にトライです。
彼女の自己改革は目覚しくて、本当に驚くほどです。
水着は高校の体育の授業で着たのが最後だったそうで
こう言った遊園地のプールなど、一度も行った事が無く、
先ずは水着選びから・・・。
ミニスカートを選びに行った時は、オドオドされてたのが
印象的でしたが、今回は自分から可愛らしいのを選んでました。
そこで派手目なのを選んで
「可愛い水着だから、これなすびさん代わりに着てよ」って
持ってきたり。。。
でもそれはチョッと私には着こなせませんよぉ?(>o<;
結局お付き合いで私のも選んでもらって、
一緒に試着したり、彼女の楽しそうな笑顔を見て来れました。
これも彼への思いからなのでしょうね!
最初は水着選びだけの約束だったのですが、
いざプールへとなったらチョッと心配(不安)になったそうで
翌日のプールデートに付き合わされる羽目に・・・。
結局その場から彼氏へ連絡して、私が同行する事を伝え
彼氏に振られて、今は独り者の私を儚んでくれたのか
彼が職場の同僚を連れてくる事になり4人でのプールでした。
彼の手・指の傷もすっかり癒えていて一安心でしたよ。
リハビリは続けてるそうですが、もう心配ないでしょう。
彼女の本音は更衣室で一人になるのがイヤだったようです。
更衣室の女性だけの中とは言え、一人で足を出すのには
未だ抵抗があるようで、そこに私にいて欲しかったようです。
普段は彼氏がそばにいてくれるけど更衣室はネェ。。。
私が気付かないうちに後から撮られたこの写真は
チョッと恥ずかしいのでぼかしていますが
写真の水着は彼女が選んでくれたんですよ。
チョッと可愛いでしょう!?
彼女と一緒にプールサイドで撮った写真は
彼女にとってはじめての水着の写真だったそうです。
この数ヶ月間で、彼女の生活はガラット変わったようです。
本人曰く、彼氏が怪我をしたのはショックだったけど
それで自分の気持ちの方向性がハッキリしたので
丸っきり別の自分に会えたのだとか!
兎に角、彼氏との二人三脚で、
彼女の未来は明るく開けているようです。
それに引き換え、夏だというのに私は・・・。
2007年06月15日
早めのプレゼント
先日交通外傷で搬送され、術後も中々安定しなかった
34歳男性の患者さんがいます。
意識も戻らずチョッと心配な患者さんなのですが
フルケアで治療にあたっています。
未だお子さんも小さくて、お見舞いに来られても
ベットサイドへは行く事が出来ないので(感染防止等の為)
お母さん・おばあさんと入れ替わりに待合室で待っています。
この2日ほど意識も戻らず、大きな変化も無いので
お見舞いに来られても、暫くお顔を眺められた後
スタッフに状態を聞いて帰られる日が続いてました。
奥様(おかあさん)は憔悴しきりで、今後を不安視され
毎日寝れずに倒れそうだとのこと、顔色も悪いので
その場で休んで貰うようお勧めし医師の受診を依頼しました。
取敢えずは点滴と休養の為ベット確保ですが、
出来ればご主人のそばの方が良いでしょうから
ご主人のベット脇を空けて、そちらで点滴開始です。
おばあさんにその旨伝え、6歳のお子さんに
「もう少し待ってね」ってお願いしに行ったら
「パパとママのそばに行く」って泣き出されて・・・。
Dr.に相談したら
「お父さんの包帯姿が悪印象にならなきゃ良いけど、
子供はやっぱ親の傍がいいだろう、感染だけ気をつけて」
私 「じゃあ、私が抱いて短時間だけ入室します」
そんなやり取りの後、お子さんを抱いておばあさんと一緒に
ご両親の傍へ行ったら・・・。
6歳の子には大きすぎるマスク越しに大きな声で
「パパがんばれ!」って。。。
ベットサイドには5分と居れなかったけど
お母さんが点滴を終えて帰られるまで、
待合室で良い子にして待ってくれていたようです。
で、ですよ!!
お子さんたちが帰って暫くしたら、
事故後意識の戻らなかった患者さんに反応が出たんです!
朧ながら目を開きそうになったり・・・。
まだまだ僅かですが、良い兆候です^^v
Dr.曰く
「あの子からの父の日のプレゼントだね!」
6歳の男の子は抱っこするのも重かったけど
私の腕が太くなっても、その価値は有ったようです!
34歳男性の患者さんがいます。
意識も戻らずチョッと心配な患者さんなのですが
フルケアで治療にあたっています。
未だお子さんも小さくて、お見舞いに来られても
ベットサイドへは行く事が出来ないので(感染防止等の為)
お母さん・おばあさんと入れ替わりに待合室で待っています。
この2日ほど意識も戻らず、大きな変化も無いので
お見舞いに来られても、暫くお顔を眺められた後
スタッフに状態を聞いて帰られる日が続いてました。
奥様(おかあさん)は憔悴しきりで、今後を不安視され
毎日寝れずに倒れそうだとのこと、顔色も悪いので
その場で休んで貰うようお勧めし医師の受診を依頼しました。
取敢えずは点滴と休養の為ベット確保ですが、
出来ればご主人のそばの方が良いでしょうから
ご主人のベット脇を空けて、そちらで点滴開始です。
おばあさんにその旨伝え、6歳のお子さんに
「もう少し待ってね」ってお願いしに行ったら
「パパとママのそばに行く」って泣き出されて・・・。
Dr.に相談したら
「お父さんの包帯姿が悪印象にならなきゃ良いけど、
子供はやっぱ親の傍がいいだろう、感染だけ気をつけて」
私 「じゃあ、私が抱いて短時間だけ入室します」
そんなやり取りの後、お子さんを抱いておばあさんと一緒に
ご両親の傍へ行ったら・・・。
6歳の子には大きすぎるマスク越しに大きな声で
「パパがんばれ!」って。。。
ベットサイドには5分と居れなかったけど
お母さんが点滴を終えて帰られるまで、
待合室で良い子にして待ってくれていたようです。
で、ですよ!!
お子さんたちが帰って暫くしたら、
事故後意識の戻らなかった患者さんに反応が出たんです!
朧ながら目を開きそうになったり・・・。
まだまだ僅かですが、良い兆候です^^v
Dr.曰く
「あの子からの父の日のプレゼントだね!」
6歳の男の子は抱っこするのも重かったけど
私の腕が太くなっても、その価値は有ったようです!
2007年06月03日
ビックリ?微笑ましい。。
ホットラインが鳴り響いて急患の受け入れ要請です。
47歳女性、下腹部の激痛による意識混濁・・・。
状況から考えられる必要な準備をして到着を待ちます。
付き添ってきた20代半ば過ぎの息子さんの話から、
倒れられた際の状況など伺っていても、
普段と変わらなく、普通に皆と食卓を囲んだそうで
今までにこうして倒れた事も無いとのことです。
急にお腹を押さえて苦しみだし、脂汗をかいて倒れたと..
同時に進めていた検査やエコーの結果を見ていたDr.が
「NICUと産科に連絡!」と声を掛けて来ました。
Dr. 「なすびは出産立会いあるか?」
私 「何度かありますけど,この患者さんほどの
高リスクケースは初めてです」
Dr. 「そうだな!慎重に行こう、直ぐご主人に連絡して」
私 「その前に先生、もう全開大です! 急ぎましょう。」
(破水の後で、いつ生まれてきてもおかしくない状態です)
Dr. 「お?い赤ちゃん!もうチョッと我慢しててね。
産科に移るまでそこにいるんだよ!廊下で出ないでね」
私 「○○さん、直ぐ生まれるからね!ガンバってね!!」
そこで患者さんが、痛みで唸っていたのが嘘のように
「私、妊娠してるの?」 「生まれるって、今?」
そうなんです!
ご本人は全く妊娠の認識が無く臨月迄を過ごされたようです。
年齢的に閉経と思っていた事や、腰周りに肉が付くのも
年のせいだと思い込んでいたそうで、
破水も更年期の症状の一種なんだと思い込み
気にする事無く、普通にしていたそうです。
つわりや破水等の諸症状も、更年期なんだから
色んな症状が出ても不思議じゃないと思い、
(つわりや破水との認識も無かったそうでした)
妊娠なんていう発想は、全くおこらなかったそうです。
思い込みって恐ろしい・・・。
こんな微笑ましいお話も、無事出産されたから聞けたけれど
生まれてくるまで「母子手帳」もなく、「健康診断」も受けず
それでも元気で生まれて来たこの赤ちゃんは
きっと元気な男の子になってくれるでしょうね
到着が30分遅かったら、救急外来の処置室で出産なんて事に
なってたかも知れない事を思うと、
この子は本当に幸運をも手にしてるのかも!
リスクの高い高齢出産だったので
お子さんは検査を含めてNICUに入られましたけど
母子ともに安定して親子の絆を温めています。
ご主人を呼んで貰うために、付き添って来た息子さんに
病状説明した際の一言。。。
「言ってる意味わかんねぇ・・。俺この年で弟が出来んの?」
47歳女性、下腹部の激痛による意識混濁・・・。
状況から考えられる必要な準備をして到着を待ちます。
付き添ってきた20代半ば過ぎの息子さんの話から、
倒れられた際の状況など伺っていても、
普段と変わらなく、普通に皆と食卓を囲んだそうで
今までにこうして倒れた事も無いとのことです。
急にお腹を押さえて苦しみだし、脂汗をかいて倒れたと..
同時に進めていた検査やエコーの結果を見ていたDr.が
「NICUと産科に連絡!」と声を掛けて来ました。
Dr. 「なすびは出産立会いあるか?」
私 「何度かありますけど,この患者さんほどの
高リスクケースは初めてです」
Dr. 「そうだな!慎重に行こう、直ぐご主人に連絡して」
私 「その前に先生、もう全開大です! 急ぎましょう。」
(破水の後で、いつ生まれてきてもおかしくない状態です)
Dr. 「お?い赤ちゃん!もうチョッと我慢しててね。
産科に移るまでそこにいるんだよ!廊下で出ないでね」
私 「○○さん、直ぐ生まれるからね!ガンバってね!!」
そこで患者さんが、痛みで唸っていたのが嘘のように
「私、妊娠してるの?」 「生まれるって、今?」
そうなんです!
ご本人は全く妊娠の認識が無く臨月迄を過ごされたようです。
年齢的に閉経と思っていた事や、腰周りに肉が付くのも
年のせいだと思い込んでいたそうで、
破水も更年期の症状の一種なんだと思い込み
気にする事無く、普通にしていたそうです。
つわりや破水等の諸症状も、更年期なんだから
色んな症状が出ても不思議じゃないと思い、
(つわりや破水との認識も無かったそうでした)
妊娠なんていう発想は、全くおこらなかったそうです。
思い込みって恐ろしい・・・。
こんな微笑ましいお話も、無事出産されたから聞けたけれど
生まれてくるまで「母子手帳」もなく、「健康診断」も受けず
それでも元気で生まれて来たこの赤ちゃんは
きっと元気な男の子になってくれるでしょうね
到着が30分遅かったら、救急外来の処置室で出産なんて事に
なってたかも知れない事を思うと、
この子は本当に幸運をも手にしてるのかも!
リスクの高い高齢出産だったので
お子さんは検査を含めてNICUに入られましたけど
母子ともに安定して親子の絆を温めています。
ご主人を呼んで貰うために、付き添って来た息子さんに
病状説明した際の一言。。。
「言ってる意味わかんねぇ・・。俺この年で弟が出来んの?」
2007年04月30日
手を!
最近誰かと手を握った事がありますか?
相手は誰でも良いんです。
彼・彼女・ご主人・奥様・子供達・お年寄り・妊婦さん・ペットもかな!?
昨夜搬送されて来たのは81歳のおじいさん。
ご自分で不調を感じ119通報され、救急隊の到着を待ったようです。
でも到着前に体調が悪化して倒れられたようで、
隊員は開いている玄関から患者さんを見つけたそうでした。
脳梗塞の処置を受けICUに入られていますが
一人暮らしと言う事と、深夜の時間帯と言う事も重なってか
私の勤務上がりまでには身内の方はお越し頂けませんでした。
処置後に感覚の確認の為もあって、患者さんの手を握って
私が 「どっちの手を握っているか分りますか?」って聞いたとき
「握られると暖かいなぁ」って、うっすらと涙浮かべて
シワガレた呂律の覚束ない聞き取りにくい声でしたけど、
私の手を握り返しながらそう言ってくれました。
この患者さんが人に手を握られたのなんて何時以来なのかな。。
ご自分で119通報され、到着前に倒れられたなんて、
さぞ心細かったでしょう。
もし誰かが手を握ってくれるような生活環境だったら、
あれほど心細い思いをされなくて済んだろうになって。。。。
そんな事考えながら帰ってきました。
私も今度の連休は実家の母の顔を見に帰ってみようと思います。
母の日も近いから、肩でも揉みながら手を握ってみようかな。
相手は誰でも良いんです。
彼・彼女・ご主人・奥様・子供達・お年寄り・妊婦さん・ペットもかな!?
昨夜搬送されて来たのは81歳のおじいさん。
ご自分で不調を感じ119通報され、救急隊の到着を待ったようです。
でも到着前に体調が悪化して倒れられたようで、
隊員は開いている玄関から患者さんを見つけたそうでした。
脳梗塞の処置を受けICUに入られていますが
一人暮らしと言う事と、深夜の時間帯と言う事も重なってか
私の勤務上がりまでには身内の方はお越し頂けませんでした。
処置後に感覚の確認の為もあって、患者さんの手を握って
私が 「どっちの手を握っているか分りますか?」って聞いたとき
「握られると暖かいなぁ」って、うっすらと涙浮かべて
シワガレた呂律の覚束ない聞き取りにくい声でしたけど、
私の手を握り返しながらそう言ってくれました。
この患者さんが人に手を握られたのなんて何時以来なのかな。。
ご自分で119通報され、到着前に倒れられたなんて、
さぞ心細かったでしょう。
もし誰かが手を握ってくれるような生活環境だったら、
あれほど心細い思いをされなくて済んだろうになって。。。。
そんな事考えながら帰ってきました。
私も今度の連休は実家の母の顔を見に帰ってみようと思います。
母の日も近いから、肩でも揉みながら手を握ってみようかな。
2007年04月20日
ミニスカート
昨日・今日とお休みです!
少し朝寝坊してお布団から未だでないで良いんだって思えるのは
何とも幸せなことなんでしょうね!!
昨日は午後から待ち合わせをしてお買い物に出かけました。
そのお相手は、このブログでも何度か登場された
あのバレンタインの日に搬送された、
手に大怪我をした男性の婚約者。そうです!
あの日病状説明中に結婚宣言をして
ホワイトディには彼と一緒に婚約の報告に来て下さった女性です!!
先日彼女が彼と外来を訪れた際、私の所へ来てくれて
「今度一緒に買い物付き合って欲しいんです」ってお願いされました。
最初は何で私がって思ったけど、お話を聞いていて
ご一緒することにしました。
この女性は子供の頃の事故で、足の長さが異なり
今も歩行に若干の不自由が残ってらっしゃいます。
この事をコンプレックスに思って育った事は以前にも書きましたが
彼との出会いで、それをも超越した愛情を注がれ
結婚まで決意された経緯(いきさつ)のある方です。
その彼女が彼の前でミニスカートを履いて見たいと思ったそうです。
今までミニどころか、足を見られたくないという意識が強くて
ジーンズも履かなかったそうです。
それが彼との時間の中で、外見を気にすることより
2人でやってみたい事に挑戦していく方が自分たちらしいって
気付かされて、先ずは履いて見たかったミニスカートに挑戦です。
ただ今までそう言った相談のできる友人がいなかったそうで
思いついたのが私だったそうです。
私でもお買い物ぐらいはお付き合いできますから良かった。
一緒にいくつかのお店を廻って、最初は物怖じしていた彼女も
3件目からは自分から店員さんにアドバイス受けたり
試着を申し出たりで、変わっていくのが見て取れました
結局春らしいカラーのミニとTOPS、それにデニムのマイクロミニ。
そしてジーンズも2本選んできました。
今までは足首が隠れるロングスカートばかりだったので
ご自分でも試着しながら変わった自分に驚いてました。
夕方お茶している私たちの所へ、仕事を終えた彼が迎えに来て
お買い物のお話などして笑顔をこぼしました^^)
その後食事に誘われましたけど、3人より2人の方が良いでしょう!
お邪魔な私は一人で帰って来ましたよ。
買い物中や彼の前での彼女の笑顔は見ていて嬉しかったけど
私一人での帰り道はチョッと淋しいかったなぁ。
あぁ羨ましい。。。。。
少し朝寝坊してお布団から未だでないで良いんだって思えるのは
何とも幸せなことなんでしょうね!!
昨日は午後から待ち合わせをしてお買い物に出かけました。
そのお相手は、このブログでも何度か登場された
あのバレンタインの日に搬送された、
手に大怪我をした男性の婚約者。そうです!
あの日病状説明中に結婚宣言をして
ホワイトディには彼と一緒に婚約の報告に来て下さった女性です!!
先日彼女が彼と外来を訪れた際、私の所へ来てくれて
「今度一緒に買い物付き合って欲しいんです」ってお願いされました。
最初は何で私がって思ったけど、お話を聞いていて
ご一緒することにしました。
この女性は子供の頃の事故で、足の長さが異なり
今も歩行に若干の不自由が残ってらっしゃいます。
この事をコンプレックスに思って育った事は以前にも書きましたが
彼との出会いで、それをも超越した愛情を注がれ
結婚まで決意された経緯(いきさつ)のある方です。
その彼女が彼の前でミニスカートを履いて見たいと思ったそうです。
今までミニどころか、足を見られたくないという意識が強くて
ジーンズも履かなかったそうです。
それが彼との時間の中で、外見を気にすることより
2人でやってみたい事に挑戦していく方が自分たちらしいって
気付かされて、先ずは履いて見たかったミニスカートに挑戦です。
ただ今までそう言った相談のできる友人がいなかったそうで
思いついたのが私だったそうです。
私でもお買い物ぐらいはお付き合いできますから良かった。
一緒にいくつかのお店を廻って、最初は物怖じしていた彼女も
3件目からは自分から店員さんにアドバイス受けたり
試着を申し出たりで、変わっていくのが見て取れました
結局春らしいカラーのミニとTOPS、それにデニムのマイクロミニ。
そしてジーンズも2本選んできました。
今までは足首が隠れるロングスカートばかりだったので
ご自分でも試着しながら変わった自分に驚いてました。
夕方お茶している私たちの所へ、仕事を終えた彼が迎えに来て
お買い物のお話などして笑顔をこぼしました^^)
その後食事に誘われましたけど、3人より2人の方が良いでしょう!
お邪魔な私は一人で帰って来ましたよ。
買い物中や彼の前での彼女の笑顔は見ていて嬉しかったけど
私一人での帰り道はチョッと淋しいかったなぁ。
あぁ羨ましい。。。。。
2007年03月14日
ホワイトデーに。。。
覚えてる方もいらっしゃるでしょうか!?
ひと月前の出来事を・・・。
そうです!
バレンタインの午後、工場の機械による事故で右手裂傷の大怪我と
出血性ショックに拠る重篤状態で運び込まれた男性患者さん。
そして術中の経過説明をしている時に、ご家族に同席を求められて
その席で感極まって結婚への思いまで宣言されたあの女性の事です。
今朝は北寄りの強風の吹く、放射冷却も手伝って寒い朝でした。
深夜からの勤務を終え、寒い中帰ろうかと着替えていると
日勤帯の人から呼び戻されて、「何かミスでもしたかなぁ!?」と
不安に思いながら、もう一度ICUへ戻るとお二人が待っていました。
あの事故から一月目で、今日は患者さんと一緒に外来検診に来られ
あの晩、私が言った事を実行する報告と、ICUでのお礼を言いに
診察の合間を縫って、ワザワザ立ち寄ってくれたそうでした。
あの後数日でICUから一般病棟へ移り、その後直ぐ退院され
リハビリを続けながら、今では職場へも復帰されたそうです。
勿論まだまだ完全復帰には程遠く、業務内容も体調と相談しながら
お仕事されてるそうですが、利き手の指なのでご苦労も感じられます。
そんな話を少ししてると彼女が、
「なすびさん、あの日言ってくれた事を覚えてる?」ってニコニコしながら
聞いてきました。
「勿論!今夜行かれるの?」って聞き返したら、お二人が笑顔で
「素敵なレストランじゃないけど、今夜は2人で鍋パーティするんです」
って、そして
「今はお金貯めなきゃならないからね!」って彼(患者さん)が言うと
「今年中に結婚するんです。両親も喜んでくれました」って
彼女が微笑んで話してくれました。
彼の指も、彼女の足も、何の障害にもならないでしょう。
素敵なカップルの力強さと暖かさを感じました。
外来の診察時間に間に合うよう立ち去るお二人の後姿を見送ってから
おうちに帰ろうと病院を出たら、冷たい北風も清々しく感じました。
朝から元気を頂けたようです
ひと月前の出来事を・・・。
そうです!
バレンタインの午後、工場の機械による事故で右手裂傷の大怪我と
出血性ショックに拠る重篤状態で運び込まれた男性患者さん。
そして術中の経過説明をしている時に、ご家族に同席を求められて
その席で感極まって結婚への思いまで宣言されたあの女性の事です。
今朝は北寄りの強風の吹く、放射冷却も手伝って寒い朝でした。
深夜からの勤務を終え、寒い中帰ろうかと着替えていると
日勤帯の人から呼び戻されて、「何かミスでもしたかなぁ!?」と
不安に思いながら、もう一度ICUへ戻るとお二人が待っていました。
あの事故から一月目で、今日は患者さんと一緒に外来検診に来られ
あの晩、私が言った事を実行する報告と、ICUでのお礼を言いに
診察の合間を縫って、ワザワザ立ち寄ってくれたそうでした。
あの後数日でICUから一般病棟へ移り、その後直ぐ退院され
リハビリを続けながら、今では職場へも復帰されたそうです。
勿論まだまだ完全復帰には程遠く、業務内容も体調と相談しながら
お仕事されてるそうですが、利き手の指なのでご苦労も感じられます。
そんな話を少ししてると彼女が、
「なすびさん、あの日言ってくれた事を覚えてる?」ってニコニコしながら
聞いてきました。
「勿論!今夜行かれるの?」って聞き返したら、お二人が笑顔で
「素敵なレストランじゃないけど、今夜は2人で鍋パーティするんです」
って、そして
「今はお金貯めなきゃならないからね!」って彼(患者さん)が言うと
「今年中に結婚するんです。両親も喜んでくれました」って
彼女が微笑んで話してくれました。
彼の指も、彼女の足も、何の障害にもならないでしょう。
素敵なカップルの力強さと暖かさを感じました。
外来の診察時間に間に合うよう立ち去るお二人の後姿を見送ってから
おうちに帰ろうと病院を出たら、冷たい北風も清々しく感じました。
朝から元気を頂けたようです
2007年02月15日
バレンタインなのに その2
バレンタインの夜にチョッと素敵なドラマを見ました。
患者さんは20代男性、勤務先の工場での事故による
右手裂傷の大怪我でしたが、右手人差し指第一関節辺りで
皮一枚で繋がっているような状態でした。
機械に挟まれた様なのですが、怪我の影響で心臓にも負担が掛かり
一時は危険な状態だったようでした。
会社からの連絡で駆けつけられたご家族への当初の説明では
危険な状態である事と、指については完全な修復に至るかどうか
現状ではなんとも答えられない難しい状態だという事が伝えられ
患者さんは手術室へ向かわれました。
私が勤務に就く頃には、待合室はご家族や会社の同僚で一杯で
ご家族から病状を聞いた方たちで、暗い雰囲気になってました。
ご家族も「命が助かるのなら。。」と、指の事は半ば
切断もしょうがないと、諦めてられたようでした。
術中の連絡も入り、2度目の症状をご説明するため、
Dr.と私がご家族とお話をしていると、
患者さんとお付き合いされてるという女性が来られました。
ご家族の承諾の上、同席されてご説明の再開です。
虚血に関しては問題ないのですが、指の修復がされても
機能回復はどこまで望めるか何とも言えない事をお話した時
急に彼女が
「指が無くても私は彼と結婚します。不自由は私がカバーすれば
良いんだし、今まで彼はそれをしてくれたんだから・・・」と。
彼女は子供の頃の交通事故の後遺症で、
やや歩行が不自由で、コンプレックスが有った様なのですが
彼は全く気にせずお付き合いされてたようでした。
長い手術の後、戻られた患者さんの指はシッカリと着いていました。
勿論未だ機能回復云々の段階ではなく、
単純に「着いてる」というだけのレベルなのですけれど。。。
これから辛いリハをこなさなければなりませんし、
抹消に近いので、リハを怠れば壊死の可能性も高いです。
そうなれば又切断を選択せざるを得ない不安も残ります。
術後直ぐなので、3分ほどの短い面会にも拘わらず
ベットサイドでまだ麻酔から醒め切っていない彼を気遣い
本当は今夜どこかのレストランででも渡す心算だったような
綺麗にラッピングされたチョコ(?)を、枕元に置いて話しかけている
彼女の姿を見ていたら、何となく暖か気分のお裾分けを戴いたような
良い映画を見た後のような、そんな気持ちにさせられました。
「ホワイトディには、美味しいレストランで
素敵なプレゼント貰ってくださいね!」、そう声を掛けて帰ってきました。
患者さんは20代男性、勤務先の工場での事故による
右手裂傷の大怪我でしたが、右手人差し指第一関節辺りで
皮一枚で繋がっているような状態でした。
機械に挟まれた様なのですが、怪我の影響で心臓にも負担が掛かり
一時は危険な状態だったようでした。
会社からの連絡で駆けつけられたご家族への当初の説明では
危険な状態である事と、指については完全な修復に至るかどうか
現状ではなんとも答えられない難しい状態だという事が伝えられ
患者さんは手術室へ向かわれました。
私が勤務に就く頃には、待合室はご家族や会社の同僚で一杯で
ご家族から病状を聞いた方たちで、暗い雰囲気になってました。
ご家族も「命が助かるのなら。。」と、指の事は半ば
切断もしょうがないと、諦めてられたようでした。
術中の連絡も入り、2度目の症状をご説明するため、
Dr.と私がご家族とお話をしていると、
患者さんとお付き合いされてるという女性が来られました。
ご家族の承諾の上、同席されてご説明の再開です。
虚血に関しては問題ないのですが、指の修復がされても
機能回復はどこまで望めるか何とも言えない事をお話した時
急に彼女が
「指が無くても私は彼と結婚します。不自由は私がカバーすれば
良いんだし、今まで彼はそれをしてくれたんだから・・・」と。
彼女は子供の頃の交通事故の後遺症で、
やや歩行が不自由で、コンプレックスが有った様なのですが
彼は全く気にせずお付き合いされてたようでした。
長い手術の後、戻られた患者さんの指はシッカリと着いていました。
勿論未だ機能回復云々の段階ではなく、
単純に「着いてる」というだけのレベルなのですけれど。。。
これから辛いリハをこなさなければなりませんし、
抹消に近いので、リハを怠れば壊死の可能性も高いです。
そうなれば又切断を選択せざるを得ない不安も残ります。
術後直ぐなので、3分ほどの短い面会にも拘わらず
ベットサイドでまだ麻酔から醒め切っていない彼を気遣い
本当は今夜どこかのレストランででも渡す心算だったような
綺麗にラッピングされたチョコ(?)を、枕元に置いて話しかけている
彼女の姿を見ていたら、何となく暖か気分のお裾分けを戴いたような
良い映画を見た後のような、そんな気持ちにさせられました。
「ホワイトディには、美味しいレストランで
素敵なプレゼント貰ってくださいね!」、そう声を掛けて帰ってきました。
2007年02月01日
花嫁衣裳の旅立ち
一昨日の晩、留守電に見慣れない番号からの
着信メッセージが入ってました。
それは先月、末期癌の為に緩和ケア病院へ入院され
患者さんの経っての希望だった「花嫁衣裳」でのお写真を撮られた
あの患者さんの息子さんからでした。
お母様が先週旅立たれ、葬儀も滞りなく行われたと言う
お知らせでした。そしてこちらへ入院中にお世話になったと言うことで
ワザワザ私にまでご連絡下さったそうでした。
昨日勤務の前にお線香を上げさせて頂きに、
ご自宅までお邪魔させて頂きに伺ったのですが、
ご自宅は隣県で、電車とバスを乗り継いで1時間半ほど掛かりました。
行ってみて改めて気付かされました。
がん治療の副作用で、気分の悪いお身体にも拘らず
この道程を病院まで通われたご苦労は大変な物だったのだろうと。。。
そして入院中は、高血圧の持病を持つご主人が
毎日のようにこの距離をお見舞いに往復されていたのだと言う事を。
やはり家族の一員が病気や怪我をされると言う事は
患者さんばかりでなく、全員の大きな負担になってしまうのですね。
花嫁衣裳で皆と一緒に写真を撮った後、徐々に具合が悪化し
数日後には昏睡に陥り、そのまま皆さんへの別れの時間を取った後
ご家族に看取られながら、静かに旅立たれたそうでした。
うちの病院で手術を受けた後、私にも言われてた事ですが
自分が癌である事を受け入れて、「最期の時をどれだけ自分なりに
過ごせるかを楽しみたい」と言うお気持ちを持った方でしたので
あちらの病院に入院中も、ご主人や息子さんたちへの気遣いに終始し
最期まで「妻」であり、「母親」であったと笑顔で言われていました。
ご家族を亡くされた悲しみは消えはしませんが、
妻らしさ母親らしさを貫き通したその姿に、
ご家族も生を全うされたと言う喜びすら感じたそうです。
命を奪う病気は憎いけれど、こう言う生き方が出来たことで
これも一つの寿命だったのだろうと、
静かにその死を受け入れられているようでした。
最期の最後まで、この患者さんが見せた生き様に
残して下さった物の大きさを感じられたのだろうと思います。
祭壇の脇にあの日皆で撮った花嫁衣裳のお写真が飾ってありました。
それを見て私も、入院中の副作用で腫れ上がったお顔でも
私の顔を見ると無理してでも笑顔になろうとされた
あの気丈さを思い出し涙してしまいました。
大事なご家族を亡くされた方の涙は止まらなくとも、
「あのかあさんならずっと傍にいて家族を見守っているだろう」と、
笑いながら息子さんが言ってくれた事に安堵しました。
晴れやかな別れなど望みませんが、生を全うされた事を
受け入れられる程のゆとりを持つ事も大事なのでしょう。
亡くなられた方は、いつも傍で見守ってくれてる様な気がしますから。
帰りに近くの駅まで車で送ってくださったのですが
カーステレオから流れて来た「千の風になって」と言う曲に
運転している息子さんと二人で、又泣いてしまいました。
着信メッセージが入ってました。
それは先月、末期癌の為に緩和ケア病院へ入院され
患者さんの経っての希望だった「花嫁衣裳」でのお写真を撮られた
あの患者さんの息子さんからでした。
お母様が先週旅立たれ、葬儀も滞りなく行われたと言う
お知らせでした。そしてこちらへ入院中にお世話になったと言うことで
ワザワザ私にまでご連絡下さったそうでした。
昨日勤務の前にお線香を上げさせて頂きに、
ご自宅までお邪魔させて頂きに伺ったのですが、
ご自宅は隣県で、電車とバスを乗り継いで1時間半ほど掛かりました。
行ってみて改めて気付かされました。
がん治療の副作用で、気分の悪いお身体にも拘らず
この道程を病院まで通われたご苦労は大変な物だったのだろうと。。。
そして入院中は、高血圧の持病を持つご主人が
毎日のようにこの距離をお見舞いに往復されていたのだと言う事を。
やはり家族の一員が病気や怪我をされると言う事は
患者さんばかりでなく、全員の大きな負担になってしまうのですね。
花嫁衣裳で皆と一緒に写真を撮った後、徐々に具合が悪化し
数日後には昏睡に陥り、そのまま皆さんへの別れの時間を取った後
ご家族に看取られながら、静かに旅立たれたそうでした。
うちの病院で手術を受けた後、私にも言われてた事ですが
自分が癌である事を受け入れて、「最期の時をどれだけ自分なりに
過ごせるかを楽しみたい」と言うお気持ちを持った方でしたので
あちらの病院に入院中も、ご主人や息子さんたちへの気遣いに終始し
最期まで「妻」であり、「母親」であったと笑顔で言われていました。
ご家族を亡くされた悲しみは消えはしませんが、
妻らしさ母親らしさを貫き通したその姿に、
ご家族も生を全うされたと言う喜びすら感じたそうです。
命を奪う病気は憎いけれど、こう言う生き方が出来たことで
これも一つの寿命だったのだろうと、
静かにその死を受け入れられているようでした。
最期の最後まで、この患者さんが見せた生き様に
残して下さった物の大きさを感じられたのだろうと思います。
祭壇の脇にあの日皆で撮った花嫁衣裳のお写真が飾ってありました。
それを見て私も、入院中の副作用で腫れ上がったお顔でも
私の顔を見ると無理してでも笑顔になろうとされた
あの気丈さを思い出し涙してしまいました。
大事なご家族を亡くされた方の涙は止まらなくとも、
「あのかあさんならずっと傍にいて家族を見守っているだろう」と、
笑いながら息子さんが言ってくれた事に安堵しました。
晴れやかな別れなど望みませんが、生を全うされた事を
受け入れられる程のゆとりを持つ事も大事なのでしょう。
亡くなられた方は、いつも傍で見守ってくれてる様な気がしますから。
帰りに近くの駅まで車で送ってくださったのですが
カーステレオから流れて来た「千の風になって」と言う曲に
運転している息子さんと二人で、又泣いてしまいました。