雪国便り
2010年11月22日
久しぶりの福岡で・・・・
当初は一泊の予定で講義などのスケジュールが組まれたのですが
私の方の大学の都合で日帰りに変更になり
ちょっと慌ただしく羽田を出発。
寝ぼけ眼の眼下には雪化粧の富士山が。。。
日頃、見慣れたその雄大な姿も
こうして角度を変えてみると、
またまた元気づけられたり、リフレッシュしたり・・
そんな雄姿を翼縁に送った後は
講義内容の資料の確認に追われて、
あっという間に九州上陸!
その足で午前中の講義に間に合うよう
地下鉄など乗り継いで一路とある大学へ。。。
講義は聴講制のために学部を越えた学生さんが見えられ
救命や重症ケア、それにファーストエイドなどの話を興味深げに
聞いていただけました。
その後昼食を挟んで教育学部の学生さんにも
生命についてやメンタルケアの大切さなどを例示しながらの講義。
間もなく教員として思春期のお子さんたちに接する事になる
新米教師さんたちにとっても、子供たちへのメンタルケアや
生命についての初歩の教育の大切さなどを話させていただき
現実に救命へ運ばれてくる子供たちの心の裏側や
大人の気付かない、いじめなどからのヘルプサインの探り方など
病気や事故以外に子供の自殺企図などについても
少し時間をオーバーしながらの講義も無事終えてきました。
当初の予定通りで翌日も講義が入っているのなら、
この後は明日の講義時間までフリーな時間が取れたはずで・・・
本来ならいつもブログで優しいお言葉や励ましのお言葉を下さる
福岡在住のブログのお知り合いの方々とお会いできればと
願っていたのですけれど。。。
それでもまだ帰京便までは少し時間があるので
今年のお正月にお世話になり、そして何の前触れもなく
GWに一人旅だってしまったDr.のお墓参りへ向かう事にしました。
年末年初の猛烈な寒さと風雪の中でも
常に第一に考えるのが村の患者さんの事だった救命医。
救命の裏側には、その地域の人がどんな健康状態なのか
受診する足がない為に様態が悪化するまで病院へ来れない・・
そんな患者さんがいないよう、往診の帰り道にあちこちのお宅へ
自分から顔をだし、声をかけて回っては笑い話に花を咲かせ
診療所へ戻るころには軽自動車の後席は
おじいさんおばあさんから頂いた野菜やら漬物やらで一杯に・・・
そんな誰からも愛された救命医が眠るお墓参りを
やっとすることができました。
訃報を聞いた後は、私も「何故」と言う空虚な気持ちのまま
福岡まで葬儀に駆けつけたのですが
今やっと少し心を落ち着かせて、お墓参りを済ませ
当時のお礼を告げることができました。
なかなか福岡まで出かける機会も少なく
こうした機会でもないとお線香を手向ける事も出来ないので
お墓の前でゆっくりお話ししてきました。
帰りのバスを待つ頃には、すでに周りも真っ暗に暮れて
秋の陽は鶴瓶落としを体感しながら空港へ向かいました。
久しぶりの福岡も、街を見て歩く時間もなく
昔お友達と周った大堀公園や太宰府天満宮も
もう何年行っていないでしょう。。。。
後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎて来ました。
次回はもう少しゆっくりと時間を取って
出来ればブログでお知り合いになれた方々とも
お会いできればなぁと思いを馳せながら羽田便へ乗り込みました。。。
2010年06月04日
分からない事は希望なのよ!
先日その診療所を取り仕切っていたDr.の訃報が届き
すこし落ち込んでいましたが。。。
その村の中学を今春卒業して県内の高校へ進学した
一人の男の子から診療所経由でお手紙をいただきました。
お正月の特別授業に1コマだけ私が小学生から中学生の前で
医療や命についてお話しする機会がありました。
その話を聞いてくれていた生徒さんが、
初めて親元を離れ寮生活を始めて出来た親友のお母さんの事で
心配で心配で私にお手紙を下さったようです。
そのお友達のお母さんは県外の専門病院へ通院して
ある病名を告げられていらっしゃるそうでした。
その病名を調べてみると、可也稀な症例のようで
患者数も少なく研究途上の病のようでした。
現状で普段の生活は介助の必要も無くお過ごしのようですが
年齢を積み重ねる事により、病状がどう変化していくか
その辺がまだ推察するのが難しいほどの希少な症例なのです。
国内外で研究されているDr.もいらっしゃるようなので
いずれその治療法も確立してくる事を信じて
生徒さんが、今お友達に何が出来るか?どう接して力になれるか?
それを導き出せるヒントになるか分かりませんが
彼の不安が少しでも取れればと思い返信しました。
先ず難病と言うような余り聞きなれない病名を告げられるだけで
患者さん本人やご家族は精神的にも可也落ち込んでしまいます。
文面からお友達も今正にその状況のようでした。
でも落ち込んでしまうご家族の分までも
一緒に生活するルームメイトとして、その不安を分かち合い
軽減させてあげる事を念頭に接する事も大事なのでは!?
そんな趣旨の事を手紙に記しました。
そしてその病名を調べてみると、現状では可也不明な事が多く
大学や医療機関の研究者が何本かの論文を書いている事や
いくつかの学会でも取り上げられていることなどから
今後の進展が期待される分野である事も伝えました。
医療が日進月歩であることは周知の事実ですが
本質的にはまだ不明な病気が多い事もまた事実!
ですからこれは単なる励ましとして言うのでなく
今この時点で、「分からない事は、本当に希望なのよ」と伝えました。
私の伝えたかった事を彼がどう理解して
そして彼の言葉でお友達やそのご家族へ伝えるかは分かりません。
それでも彼がお友達の為に、自分でも何か出来ないかと
そう感じて自分から行動を起こしてくれた事に
あの日の授業が生きているかと少し嬉しい気持ちになりました。
励ましや慰めではなく
本当に分からない事は希望なのですから。。。
2010年05月14日
迷惑掛けて・・・ 巨星落つ
以前、「雪国だより」の記事にも書いた
東北地方の過疎地での診療所を切り盛りしていた救命医。
うちの病院でも研修医への指導にも当たっていた
あのDr.が脳出血により61歳という若さで急逝されました。
Dr.は患者さんが来れば夜中でも開院して
診察をしていました。
その姿勢は私が年末、急遽応援に行った際と変わりなく
地域の患者さんや連休を利用して帰省した方々にも親しまれ
それに小さなお子さんたちには命の尊さや病気についても
考える機会を何度も与えられていた方でした。
そんなDr.なのに・・・
GWの連休中、診療所は休診していても
帰省していたお子さんが風邪気味で発熱していたので
おばあちゃんが昼間に診療所へ来られたそうでした。
車は有るけど玄関の鍵が掛かっていて、呼んでも返事がない。。。
何処か近くへ往診でも行ったのかと思い
夕方もう一度出直されたそうです。
中に明かりが付いてるようだけど誰も出てこない。。。
消し忘れて出かけたなら火事にでもなったら大変と思い
駐在所へ連絡しておまわりさんと看護師さんを呼び出して
診療所の中へ入ってみたら・・・・
恐らく亡くなってから2日以上経っているとの事で
諸手続きを経てご実家の有る福岡へお帰りになられたそうです。
大学からも私と数人のスタッフが葬儀に参列させて頂きました。
既に第一線を退き自宅でクリニックをされている80代のお父様が
葬儀後の弔問客へのご挨拶の中でこんなお話を・・・・
「息子が救命医になるといったときは正直嬉しかった!
私も救命を志した医師なので、その過酷さも十分知っている
だから彼には人の命に向き合う以上、
親が死んでも患者さんをおいて葬式などに出るな。
救命は時間が勝負、代わりの医師が居なければ
お前が助けなければ命を失う人が出ることを肝に銘じろ!!
そう言って救命医になった彼に贐の言葉を送りました。
だからなのか、私より先に逝く事で彼はその約束を
守ったつもりなのかも知れません。
今日ここへ沢山の救命スタッフの方が駆け付けられ
親としては皆さんに愛された息子を誇りに思い
皆さんへは本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ですが、彼はこの方たちをここへ呼び出し
その間に各救急病院でのスタッフの手薄さを引き起こしました。
ご足労頂いた皆さんや現場をカバーしている方々
それに今正に運ばれようとしている患者さんに対し
これ以上無いご迷惑をお掛けした息子は
やはり大ばか者です!
死ぬんだったら、救命医を止めて
現場の皆さんに迷惑を掛けない歳になってから死んで欲しかった。
そして私の葬儀に出なくとも、私より先に逝くのは
やはり辛すぎる。。。
そんな大ばか者だったけど、
皆さん息子の為に本当にありがとうございました。」
こんなお言葉を発せられたお父様も「生涯救命医」なのですね。
あの雪の中、患者さんが具合が悪いといえば夜中でも出かけ
救命医が居ないと言われれば、患者さんと一緒に救急車に乗り
2時間も掛けて市内の病院まで同行、疲れも見せずにオペし
診療所での対応強化の為に行政に何度も掛け合い
そして若い医師やスタッフを育てられ。。。。
雪の年末に、「なすび、今夜は煮魚が食べたい。作れるか?」
入院患者さんの急変に備え、夜通し起きてモニターチェックし
疲れた顔ながらも私の緊張を解すかのように話しかけられた
あの笑顔を私はきっと忘れないでしょう。
救命に関るものとして、このDr. そしてそのお父様の
患者さんへ対する真心は受け継がれて行かなければなりませんね。
ご冥福をお祈りいたします。
2010年02月20日
雪国からお便りを!
先日、年末年始を過した雪国の小中学校の始業式で
「命について」のお話をさせていただいた事を書きましたが
その時の生徒さんたちから
診療所を経由して感想文が届いていました!
小学校低学年のお子さんには、チョッと難しいかなと思いながらも
何となくでも 「今生きて、この瞬間に一緒にいられる偶然・必然」
そんな内容を噛み砕いた話し言葉で医療者の立場で話したのですが・・・
各学年それぞれ特徴ある感想、
これからの進路についてや、お友達との関係についての悩み事。
そして思春期ならではの苦悩などを私に質問するように
書き記してくれました。
地域性も有るのか、3世代同居のお子さんたちは、
曾おじいさんなどの病気や死といういうものを体験しているせいか
人や動物の生へのとらえ方や思い方に
核家族化が進んだ都市部のお子さんたちとの
違いを感じさせられました。
他のお子さんからは、妹が生まれる際に
お母さんが長い期間、市内の病院へ入院してしまい
中々お見舞いにも行けずに淋しい思いをしたというお話も。。
一昨年の夏におばあちゃんが畑仕事をしているときに
農機具に指を挟まれて大量の出血をして意識が無くなりそうなのに
診療所では何も出来なくて、結局役場の車で2時間掛けて
市内の病院へ連れて行ってもらうまで痛そうで可哀想だった。
診療所で手当てや手術が出来れば、
おばあちゃんは長く入院しないで済んだのかな? とか。。
いじめられて自殺する同学年の人のニュースをTVで見ると
自分も辛いときに死んだ方が楽になれると感じていた。
でも生きたくても生きられない、病気の年下の子がいる事を
看護師さんの話を聞いて初めて身近に感じ驚いたので、
これからは辛くても生きなきゃいけないと思った。 とか。。
じいちゃんが「元気が一番の宝だ」と言っていた意味が
なんとなく判る様な気がしてきた。 とか。。
その他のタイトルだけでもご紹介すると・・
いのち・奇跡に感謝!!!
一生大切なこと
献血の血はいつか自分や家族のために巡りめぐる
小さないのちでも大切な命
自分の命の価値
生死・親と自分と未来の子供へ
etc.
中にはご両親やおじいちゃん・おばあちゃんが読まれたら
どんなに喜ばれるだろうと思える内容のものも有りました。
こっそりと今持つ悩みを打ち明けて下さった子もいらっしゃいました。
悩める青春真っ盛りのお子さんたちですものね。
私の投げかけた命や健康・それを通した友達や家族の大切さ
そう言った彼らに伝えたかったメッセージを、
それぞれの感性でキャッチしてくれて、心に留めてくれた様なので
高校や大学へ進学する際に生まれ育った土地を離れても
故郷の大切さ、他人への思いやり、
自分自身の健康が家族への安心を与える事などetc.
そう言った事を忘れないでいてくださるでしょう。
皆さんが命や健康と言う「当たり前」と思っていた事が
本当は物凄く奥深く、そして大事であるかを
少しだけでも感じ取ってくれる機会になってくれたのなら
私にとっても嬉しい限りです!
これからお礼のお手紙と、相談してくれた子には
お返事書いて送りますからね。
本当に皆さんありがとう♪
2010年01月13日
雪国便り~小中学生と
皆さんのところの小学校や中学校はもう始業されていますか?
北国の小中学校の冬休みは少しだけ長く取ってあります。
勿論その分夏休みが短いので、年間授業日数は同じですけれど。。
この地域の学校は今日が始業式でした。
そしてここでは小学生と中学生が同じ校舎を使う
生徒総数20名弱の小さな学校です。
その学校で始業式の後、
全生徒合同のホームルームのような時間に
社会化見学の一環として
「診療所の仕事と医療従事者の体験談」などを
生徒さんたちに少し話して欲しいという要請が有り
本来はここに常勤しているDr.が
「救急医の役割」などをテーマにお話してくる予定でいました。
それが生徒さんの中の中学生の女の子が
将来は看護師に成りたいとの希望があるので
看護師さんのお話を聞かせて欲しいという要望に変わり
急遽私が学校へ出向く事になりました。
本当はそう言うところへ出たがらないDr.が
裏で校長先生に手を回したのかと思いましたが
学校へ行ってみるとその女の子が出迎えてくれて
チョッとありがたい気分になりましたよ!
大学の講義も学生さんは結構真剣に聞いてくれますが
ここの生徒さんたちの眼は興味津々とう言うのが伝わり
特に高学年になるほど真剣さが本気モードでした!
中学も2年生の今頃からは、高校受験を考えるときに
ここの子達は皆故郷を離れる事になるのですから
何らかの形で又村にもどる職に就ければと
思っている子が凄く多いのです。
そう言うバックグランドを聞いていたので
私もちょっとしたプレゼントを用意して行きましたよ。
サイズが合えばいいなと思いながらでしたが・・・。
お話としては
「命について」、そして「その重み」・「病気予防の大切さ」
小学校低学年のお子さんにも分かり易く話すのに
チョッと苦労しましたが、色々例え話を交えながら
何とか多くの質問をいただけるように話してきました。
救える命・救えない悲しさ・・・
だから大切なのは予防する努力と諦めない気持ちの強さ
そして苦しくなった時には、一人で抱え込まない事。
そう言う意味での家族や友達の大切さ・・・
そんな話をしてきました。
小さな子には難しい面も有っただろうけど
最後まで飽きずに聞いてくれて、色々質問もしてくれたので
終わったときにはホッとしました(^^)
そして最後にプレゼントの公開です!
それは私の白衣(イメージできるようにワンピースのです)を
看護師を目指していると言う女の子に着てもらいました!
キャップ(帽子)が無いのが不満だったようだけど
今はキャップをしないのが一般的なんだと説明して
理解してもらいましたが、チョッと残念そうでした。
医療従事者にならなくとも、自分たちの育った村を
いつまでも忘れずにいてくれるような気持ちでいれば
どんな仕事に就かれても頑張ってもらえるだろうなと思い
生徒さん皆と握手して帰ってきました。
雪深い山村からいつの日かこの診療所を支える人が出れば
どんなに素晴らしい事でしょうね!
2010年01月10日
雪国便り~試用期間も残り僅か
年末年始の市内の病院が満床になる可能性の高い期間に
出来るだけ初期治療や簡便な手技の手術対応を
この診療所で賄えるようにする目的がありました。
前任の看護師さんの病欠がその引き金でしたが
行政や大学が中心となって、
看護師の増員や入院対応の法的手続きなどに勤められ
試用期間という限られた期間だけですが、
入院対応ができる事になったのは地域の皆さんへの
僅かながらも安心の糧になったのかと思います。
ただその裏側には、この暴風雪の中
市内の病院からは私の裏シフトに入る看護師さんが
入院患者さんのいる際は毎日通ってくださり、
分院扱いのこちらへ病院から給食を届けてくれた
村の職員の方の努力も忘れてなりません。
暖かな食事が冷めないように、又こちらの食事時間に間合うよう
栄養士さんは1食~2食を、ワザワザ早めに作ってくださり
保温パックなどで職員の方へリレー。
市内から2時間掛けての朝昼晩の3食でした。
行政のバックアップと職員の皆さんの努力で
この期間の診療所は支えられていました。
幸い入院患者さんも出産など、比較的安定すれば
市内の病院へ移送することも出来たので
試用期間の主たる目的は果たせたのかと思います。
この期間のデータを今後行政がどう解釈して
この診療所に対する予算を組むかは私には分かりませんが
天気が荒れれば救急要請しても2時間も対応できない
そんな陸の孤島が国内には
まだまだいくつも点在しているのも事実です。
当初、私の派遣期間は年末の10日間ほどの予定でした。
手術対応する特異性もあり、後任はCNを希望していたので
その期間に出向に出せる医療機関が無いとの連絡を受け
大学からは年始も私が残るよう辞令の延長もあり
この試用期間一杯まで担当する事になりました。
それだけ人材不足でもあるのですね。
この診療所はそれでも常勤の医師が救命医ですので
それなりの対応は可能でしょう。
長期入院や複数名の同時入院などは難しいけれど
応急処置の一貫的な入院ができれば
簡便な手術はここで受けられると救命率は上がるのでしょう。
できればそう言う方向で診療所の予算をお願いしたいですね。
研修医の過疎地研修機関にも含まれるのですから
ドクターヘリの飛べない時の対応が整えば
可也医療格差を解消できるのでしょうけれど・・・
残された数日ですが、CNとしてここでの実績を残し
この診療所の役割の意識転換を行政に示せればと思います。
来週の私の講義は既に休講が決まりました。
その分戻ってから2コマ続けての最終講義になるので
学生さんにも迷惑を掛けてしまうのですが
この体験を看護師を目指す大学生に理解してもらうには
凄くいい派遣だったように感じています。
これから育ち行く若い看護師さんたちに
この過疎地での医療をどう改善していけるか
看護師として、そしてやがて大学院を経て
認定看護師や専門看護師になろうと言う人には
なんとしてもこの現実を理解してもらえるよう
講義でうまく伝えていかなくてはいけませんね!
って、なんとなくおばさんが入ってしまいました(^^;)
これでもまだ20代なんですよ!! 残り僅かですが・・・
2010年01月08日
雪国便り~七草だけど・・・
仕事が終わってからもなんとなく
Dr. 「なすび、今日の夕飯どうするの?」
私 「まだ考えていませんけれど・・・」
Dr. 「実家から魚送って来てるから一緒に食うか?」
そんな感じで毎日診療所を締めたあとは
Dr.とランディと3人での食事になるのですが・・・
実家から送ってきたと言うお魚の量が想像以上!
息子さんの為とは言え、これは一人で食べる量じゃないでしょう。
しかもこのDr.お料理は全くと言っていいほど出来ないんです!
お母様は
「メスが握れるから、魚ぐらい捌ける」 なんて
思っているのかしら!?
つまりは、ヒラメを見て
「なすび、これでムニエル作れる!?」
翌日は 「今日は何かホイル焼きが食べたいな」
そんな感じで毎晩なぜか私がお料理当番になっています(><;
さすがにこの所お魚料理が続いたので
今夜ぐらいはお粥を炊いてみました。
せり・なづな・ごぎょう・はこべら・仏の座・すづな・すづしろ
半分も用意できませんでしたが
診療所特製の七草粥と言う事で勘弁していただきましたよ(^^;)
なのに明日はブリ大根が食べたいといってます・・・
ちょうど在宅診療に伺ったおばあちゃんの所で頂いた
お大根が今日のお粥さんに使っても大分残っているので
そのまま明日も使わせていただきましょうか。。。
なぜか私の料理の腕も鍛えられています(^^;)
本当は夕食と一緒に軽く一杯なんて贅沢を言いたい所ですが
夜でも急患があればそのお宅まで駆け付けなければならないので
基本的にお酒はいただけないのはしょうがないですね!
2010年01月06日
雪国便り~待合室の人気者ランディ
このところこちらではもの凄い風雪で
もう何メートル積もったのかも数えたくないほどです(^^;)
それでも患者さんのご自宅まで検診に行けば
暖かなお話でもてなされています。
とは言え、まだまだ吹雪の中の運転には慣れませんけれど。。
ランディも同様なようで、こちらに来た当時から
吹き付ける雪と風に怯えています(^^)
犬は喜び庭駆け回り・・・!?
雪の中を嬉しそうに駆け回る姿を想像して
ランディも喜ぶだろうなとここまで連れて来たのに・・・。
あの歌詞はうちの子にとっては当てはまりません(^^;)
こちらについて、車を降りるなりぶるぶるブルブル。。。
寒さに弱い犬種でもないのに・・・、
初めての雪国はチョッと強烈な印象だったようで
私のコートの中に潜って出てこようとしませんでした(^^)
休日に着いたので翌日の準備の為にランディを残して
診療所で備品の確認などしていると
Dr.がランディ一人じゃ淋しいだろうから待合室に呼んで良いと!
患者さんの前に出すのは問題が有るのではと思ったけど
Dr.のお話を聞いてランディにもお手伝いしてもらう事になりました。
患者さんは高齢の一人暮らしの方が多いので
待合室は社交の場であるのと同時に、気持ちを癒す場でもある。
確かに一人で話し相手も無くお過ごしだと
病院の待合室で暫くおしゃべりを楽しむ患者さんも多いでしょう。
外は雪だと診療が終わって直ぐに又一人の家へ戻るのは
少し淋しいでしょうから、お話し相手の話題づくりにも
ランディがいると話が膨らむと言うわけです(^^)
それにセラピーとしてもペットセラピーと言う
動物と触れ合う事で心や体の癒し効果もあることが
れっきとした研究成果もでているので、犬嫌いな方がいなければ
ランディも待合室のケージの中で患者さんに触れられたほうが
社会性も身につくし、私のそばにいられるので心配が減ります。
そんな理由で初日からケージごと待合室に登場したランディは
患者さんの人気者になってしまいました!^^!
犬嫌いな方ががいらっしゃらなくて本当に良かったです。
ランディもこうして毎日出勤して患者さんを癒しています。
彼のお給料はいつものフードに変えて
夕ご飯だけはスペシャルフードにしてあげていますよ(^^)
2010年01月03日
雪国便り~ドクターヘリよ飛んで来て!
診療所での対応が多少は病院並みに出来るようになり
吹雪の中、遠くの病院まで通院や緊急搬送しなくても良いかと
僅かながらも地域の人に安心を与えられているかな。。
そんな驕りとも思える勘違いをしてしまっていたのです。
当初より分かっている事でしたが
ここで対応できる症例は本当にごく僅かです。
Dr.やCNがどう頑張ったって、設備の整った医療機関に
勝る事はできないのですから・・・。
そんな中、一人暮らしのおじいちゃんの様子が変だと
近所の方が診療所へ連れて来て下さいました。
その段階で既に意識は無く、自発呼吸も弱くなりつつあり。。
ここでの対応には無理もあり市内の救急病院への移送を要請。
それがその病院は満床且つ救急医の手配がつかない
そう言う返答でした。
救急医はこちらから同行すると言う事で
何とか受け入れをお願いしたのですが
この吹雪の中、救急車がこちらへ来るのに時間が掛かることと
患者さんの状態から一般車での移送は危険との判断から
広域医療応援体制を整えるドクターヘリを要請しました。
なのに・・・・
この天気では飛べるかどうか分からない!
何とか雲の合間を飛べたとしても、
降りられるかはそのときの機長の判断に委ねるしかない。
しかも夕暮れに間に合わなければ
明日朝まで飛ばす事はできないとの回答でした。
市内の病院から救急車が到着するまで
何とかDr.と二人で患者さんを安定させられるよう対応し
患者さんを連れて来てくれた方がヘリが下りる予定の
学校の校庭近くで空模様などチェックしながら
携帯で連絡を入れてくださることになり
村の人が皆で応援してくださいました。
危険な気象条件の中、何度かのアプローチを
試みて下さった機長さんからも何度も連絡を受けたのですが
校庭ではヘリの音すら聞こえなかったと言うことで
雪雲に包まれた山あいの中の降下は難しかったのでしょう。
そうしているうちに救急車の到着が近づき
陸路で何とか搬送する手配が整い
うちのDr.が同乗していく事で患者さんの搬送を終えられました。
結局一度もお顔を拝見する事は無かった機長さんは
最後まで「ダメだ」とか、「降りられない」とは言いませんでした。
無線からは何度も
「もう一度遣ってみよう」・「もうチョッと下がってみよう」
そんな声が聞こえていましたよ。
ヘリに乗れれば県内でも有数の病院で治療を受けられたでしょう。
救急車の搬送はこの天気では2時間以上かかると言うのですから
その間の急変リスクも患者さんの大きな負担です。
しかも受け入れ病院は処置は出来ても
その後の入院加療はベットの空いている
別の病院へ移送しなければならないのですから
まだまだ安心できません。
夜になって無事移送完了、
これから処置に入るとの連絡がありました。
Dr.は明日まで戻って来れないでしょう。
私は入院患者さんのお世話をしながら今夜も当直です。
2010年01月01日
雪国便り~おめでとうございます!
そして新年初の診療所のお仕事はおめでたいご出産(^^)
なんで年末年始に診療所で出産なのか!?
それは土地柄の問題でした。
年末から天候が荒れて、私にすればこれは暴風雪!!
もう前を見ている事もできないような吹雪です。
そんな中臨月に入った妊婦さんが実家へ里帰りしていて
年明けには検診を受けている市内の病院へ
入院する予定だったのですが、
この吹雪のさなかに妊婦さんに何かあった場合は
救急車でも自家用車でも搬送するには予期せぬ事もあるのではと
念の為に診療所へ入院しておく事になったのです。
掛り付け病院との情報のやり取りでも
特記する心配の無い経産婦さんということで
取敢えずは嵐の静まるまでの用心の為の入院と言う形でした。
それが元旦の年明け直後から産気づき
ご主人や家族の皆さんが到着する前の
Dr.と私、それにランディしかいない診療所で
無事に3人目の赤ちゃんの誕生を受け止められました(^^)
なんと元旦生まれの縁起のいい赤ちゃんでしょうね!
ただ人生を歩みだした一番最初に触れた相手が
私だったことを後悔しないでくれればいいのですけれど(^^;)
こうやってこの診療所で入院できるようにと
年末からずっと診療規模の改定や看護職員の増員採用など
県や自治体への認可申請や手続きに走り回ったDr.と
役場の職員の方の尽力が実を結びつつあります。
もしここに入院されてなければ
この吹雪の中、あの妊婦さんは市内の病院まで
無事に搬送されたのだろうか?
無事に通常分娩が出来たのだろうか?
すべてがここで対応できるわけではありませんが
可能な限りの治療を受ける権利は
日本国中どこに住んでいても平等なはず。
今年ももっともっと技量を磨かないといけませんね!
初日の出の頃に誕生したこの男の子は
「朝陽くん」と命名されるそうですよ(^^)
明るい話題で始まった私の新年です。
どうぞみなさん本年もよろしくお願いいたします!